本当のこと

IMG_3159最近、本当に色々な事を考える機会があった。

まず、祖母との永遠のお別れをした。

祖母は94歳まで生き、最後まで歯は全て自分の歯だった。

色々あって、80歳過ぎてからおじいちゃんと2人、私達両親の近くで暮らした。

最初は施設などに入らず、実家の近所に暮らしたおじいちゃんとおばあちゃん。

私がヨーロッパから帰って直ぐの出来事で、役所に連れて行ったり、買い物に連れて行ったり、時には外食をしに連れて行ったり・・としていたけれど、段々と弱って行く姿を見る事は正直辛い所もあった。

施設に入ることが出来て直ぐ、おじいちゃんは息を引き取り、その後おばあちゃんは施設の独り部屋で暮らし、楽しそうに暮らしていた。

歌が大好きで、コーラスでもソプラノを担当していたおばあちゃん。

ある年の施設での納涼祭では、おばあちゃんの歌う歌で踊りを踊った。

その事をおばあちゃんはとても喜んでくれて、施設の人も皆良く覚えているよ!と嬉しそうに話す姿を見て、良い思い出が出来て良かったと思ったものだ。

そんな元気だったおばあちゃんだったけれど、数回危篤状態になった事がある。

もう最後かもしれない・・・という所からいつも復活していたおばあちゃんだったけれど、最後のお別れの前にはどんどん表情がなくなり、あぁ、本当に最後に向かっているのだな。と感じたものだった。

赤ちゃんは最初に泣いて生まれ、そしてまず笑う事が出来る様になる。

でも人は亡くなって行く時、笑う事が出来なくなっていくのだという事を教えてもらった。

眠る様に亡くなったおばあちゃん。

正直、人が最後に向かって行く姿を傍で見るという事はとても辛い事だと思う。

けれど、そうして巡り巡って次にバトンを渡しているのだという事を実感した。

色々な事を理解し始めている息子は、おばあちゃんの葬儀で沢山の事を感じているようであった。

どうして私が泣いているのか、そして血の気がなくなったおばあちゃんの姿が人形に見えていたり、おばあちゃんが骨となり、その骨を皆でお骨に入れるという行為を目の当たりにして、全部を理解していないとしても、彼なりに感じた事があったようで、今でもおばあちゃんの話を時々する。

人の別れというものは、何か大きな気付きを与えてくれている。

おばあちゃんの死を通して、様々な事を考えるきっかけを与えてもらった。

その後、心許せる大切な友人と食事をした。

その時、自分のこれからしていきたい事を話すと、友人はやはり同じ様な想いや同じ様な価値観を持っていて、その時間が楽しくて楽しくて仕方がなかった。

心がウキウキして、やりたい事が沢山頭に広がって、思い出してもニヤニヤしてしまう程の充実した時間だった。

そんな友人との食事を通して、今の自分がやるべき事、そしてやりたい事、選ぶべき事がとても鮮明になった。

今の私は、やはり息子の存在は切っても切り離せない存在であり、やはり彼の事が一番に頭に浮かぶ。

けれど、自分がどうしても本当に心からやりたい事があった時、彼はその事を感じ取る。

そして、一生懸命私に協力しようとしてくれる。

言葉だけではなく、身体や目や、私を取り巻く雰囲気から、自分がそれに協力するのかそうでないのか決めている様な気がするのだ。

実際に、以前息子を長い時間両親に預け、どうしても参加したいWSに参加する為にお留守番させた事があったのだけれど、その時彼はとても協力してくれた。

母は、息子が頑張って私に協力しようとしているその姿を見て、切なくなった程だったと話してくれた。

彼の協力無しではとても全日程参加する事は出来なかったけれど、そのWSに参加した事は自分の中で本当に自分のやりたい事に気付く大きなきっかけとなった出来事だった。

そして、そこでの出会いもまたとても素晴らしいものとなり、今また新しく動き出そうとしている。

おばあちゃんの死を通して、子供や親との繋がりの事も深く考える機会となったけれど、息子は私の鏡だという事にも改めて気付かされた。

この文字を書きながら、「そうそう、そう思ってたのね。」と自分で自分の気持ちを再確認している部分があるけれど、私自身が自分の気持ちに素直に行動している姿を見ていたら、息子も自分の気持ちに素直に選択して行ける様になるのではないかと思う。

けれど、やっぱり人は1人で生きている訳ではない。

自分の本当の気持ちを大事にしつつ、回り道や不本意な事があったとしても、その時出来るベストに挑戦して行かなければならないな。と思うのである。

これからの自分の未来、本当の自分の気持ちを大切にしながら、歩んで行けたら・・・と思った。

ついつい息子に口うるさくなってしまっているけれど、この言葉を書きながら、息子をもっと信じ、私自身がブレる事なく過ごしている姿を見せるという事の大切さをまた感じた。

本当の自分の気持ちをいつも傍に置きつつ、沢山笑って、沢山喧嘩して、沢山お話しして、そんな様々な事、様々な気持ちを通して、新たな気付きが生まれるのかもしれない。。

けれど、これってやっぱり1人では出来ない事ばかり。

一緒に笑える人も、一緒に喧嘩出来る人も、一緒にお話出来る人も、自分の本当の気持ちに磨きをかけてくれる、かけがえのない存在なのだな。

と、沢山の人にありがとうです。

    真実は小説より奇なり・・・

    今、母の足揉みによって奇跡の様な回復をなさった方達の体験談をまとめている。

    様々な症状を持った方達が、母と出会って足を揉む様になり、身体が良くなって行くまでの体験談。

    その体験は、どの体験を見ても感慨深いものがある。

    身体が良くなる・・・・といっても、数週間、数ヶ月で良くなるものではない。

    症状が出る程までに進んだその状態が良くなるまでには、年単位での期間、施術を受け、勉強をし、自分でもケアをし・・という時間を過ごされ、その時間の中では良い状態の時もあれば好転反応が出たり、なかなか良くなっていないのでは?と感じる様な時間があったり、皆さん一直線で良くなっていくというものではない。

    そんな紆余曲折ある中でも、やはり母を信じ、自分を信じ、時間をかけて確実に動いていた方達は本当に良くなり、身体の状態だけでなく人生の様々な巡りも良くなっている。

    真実は小説より奇なり・・・というけれど、それぞれが体験した真実のドラマは、やはり感動してしまう。

    これを、皆さんに読んで頂けるような形に出来る様に!!と念じながら、とにかく全部完成させたいと思います。

    ご協力頂いている皆さんに感謝の言葉を頂き、自分のしようとしている事が体験者さん達が自分の事を振り返るきっかけとなり、その体験談を通して何かを感じる方達がいらっしゃる事って、とても上手く循環している気がするな。と思いながら、あともうひと体験談、頑張って書き終えます!!

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