子育てや家事というのはお金にはならないけれど、とても大変な仕事の一つだと思う。
子供は自分の思う通りになる事なんて一つもないし、勿論可愛くて癒されたり笑わせてもらう事も沢山あるけれど、本当に自分も子供に育てられているなぁと感じる。
ついイライラが溜まって感情的になってしまったりする事もあるけれど、こんなに自分のペースで物事を進められない経験は今までに無いし、何でも自分の事は二の次・・・になってしまう経験も今まで無い訳で、でもこんなに手のかかる時期もほんの数年だと思うと、出来るだけ沢山の経験を私もさせてもらいたいと思っている。
先日、体調も崩してしまっていたので少し長めに実家に帰らせてもらった。実家に帰ると、じいじ、ばあばも色々手伝ってくれるし、家事もばあばがやってくれる。すっかりそれに甘えて過ごしていたけれど、大切な事に気がついた。
普段、朝起きればご飯の準備やお布団の片付けやお洗濯、部屋の掃除、そして子供と自分の身支度を整えるなどやらなければいけない事はた〜〜くさん。けれど、そのどの行為も自分の身体にとってはとても良い事だったのだと気がつく。
全ての事に通じるけれど、手を使い、足を使い、そして膝もしっかり曲げる体勢を沢山とる。我が家は畳の部屋に布団を敷いて寝ているので、布団を押し入れにしまうという動作だけでも全身を使わなければいけない。
洗濯や炊事は手を本当に良く使う。調理をする行程では五感のすべてを使わなくてはいけない。
以前読んだ本で、最近の人間は手のひらを使わない生活をしているというのを読んだ。調理の過程を通らず、指先一本でレンジのボタンを押すだけ。字を書かずにパソコン、携帯の文字を指で押すだけ。
人間が、人間としての機能を使わなくなって来ていると。動物は笑えない。けれど、人間だけが笑う事が出来る。人間の機能を使わなくなった人間は、動物化し、怒りという感情を表に出す様になるのだと。
実際私もこの文章をパソコンで書いているけれど、モノを考える時やメモを取る時、そして考えをまとめる時には必ず紙にペンや鉛筆で文章を書く様にしている。文字を見返してみると、その時の身体や心の状態で字の大きさや勢いが全く違う事には驚く。今は忙しくて出来ていないけれど、特に海外でダンスの仕事をしていた時には、とにかく毎日日記を書いていた。後で見返すと、その時の心情が手に取るように分かる字を書いている。
少し話はズレてしまったけれど、産後の身体というのはとても変化が大きいと感じている。特に、長時間コンピューターに向っていたりしていると、身体にもの凄く影響を受ける様になった気がするけれど、きっと出産後というのは、女性の身体は子供を育てる為の身体になっているのではないかな。
オッパイをあげる、子供を抱っこする、ご飯を作る、洗濯をする・・・そういう何でも無い当たり前の事こそが、産後の身体を活性化して女性の身体を守ってくれる事の様な気がする。
そして、自分のペースで出来ない事や、どんな段取りで物事に取り組めば子供と上手く時間を過ごせるか?と考える事も、かなり頭を使う事。そういう脳の使い方をする事で身体に起こる影響もあるのではないかな。
実家に帰って楽をさせてもらいつつも、実は家事や育児に追われている方が身体は調子が良いのかもしれないな。と気がつかせてもらった。
子供は自然を見れば自然と戯れる。大人にはなかなか真似の出来ない事。
きっとどの年齢でも、脳も身体も、その時期に必要な事を知っているのだと思う。
そして、どんな形でも身体は必ずサインを出している。
命に変えられるものは無いからこそ、自分の身体を良く知る事は大切。
そして、その時の自分の身体や心に起きている事、そして必要な事、悪影響な事を察知して対処出来るセンサーをもつ事も自分の身体を守る事ではないかと思う。