GWは沢山の寺社仏閣を訪れた。
昔から寺社仏閣にお参りに行く事はとても好きだったけれど、そのきっかけになったのはヨーロッパでの生活を経験してからの様に思う。
高校を卒業してスイスに留学したけれど、スイス留学時代から良く教会には足を運んだ。
私はキリスト教ではないけれど、教会に行くと心が落ち着いたり何か心が洗われる様な気がして、落ち込んだり迷ったりした時には教会にぼーっと座って目をつぶってみたり、ロウソクに日を灯して神様にお願いを聞いてもらうように心のなかで自分の声に耳を傾けたりした。
オーディションに落ちまくっていた就職活動中もそうだったし、仕事で落ち込んだ時や、日本の家族や友人が恋しくなったときにも教会に足を運んだものだった。
一つの心のよりどころでもあったヨーロッパの教会。教会という場所があったことで救われていた部分は大きい。
6〜7年のヨーロッパでの生活に一段落をつけて日本に帰って来てから、本当に色々な神社を巡った。
その頃はまだ御朱印の存在を知らずにただお参りするだけだったけれど、お参りをする為に足を運んだ旅の後には必ずと言っていい程に、人生の変化があったような気がする。
今回のGW中、行きたいと思っていた日光へ再びお参りに行って来た。
今年は日光開山1250年の年、そして徳川家康御鎮座400年記念の年。
この節目の年に、どうしてもお参りに行きたかったし、息子にも、この滅多にない記念の年の日光東照宮を見せてあげたかったし、空気を感じて欲しかった。
結果、行って本当に良かった。
人も沢山いて大混雑だったけれど、今の私達に必要な物を全て与えてもらった気がする。
息子もとても良い子にしていて、巡る場所ごとにしっかりと手を合わせ深々と頭を下げる姿を見たら、何か空気を感じてくれたのではないかな。と思った。
東照宮、奥の院へ向う階段にあったお言葉。
「人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず」
しみじみ・・・・。