出産 ②妊娠中の身体ケア

長男の妊娠の半分はフランス・パリに住んでいた。

妊娠の発覚から安定期に入るまでパリの日本語が話せる産婦人科医のもとに通っていたけれど、日本の産婦人科とは色々な事が違っていて、日本に帰って来てビックリしたものだ。

フランスでは産婦人科医のもとに通いながら、自分で別の場所に血液検査を受けに行ったり、エコーを撮りに行って、その結果を医師に持って行くというスタイルで、日本の様に毎回尿検査をしてくれる訳でもなく、エコーもフランスに居る間に一度(でも沢山写真は頂ける)受けただけだった。

悪阻のある中で、血液検査をしてもらう場所で貧血になり、激しいめまいと冷や汗に襲われてトイレでしばらく動けなくなる事もあった。初めての事だらけで、しかも住み慣れていない異国の地でストレスもかなりあったのでは・・・と思う。

安定期に入って日本に帰ると、結局検査は一通り全部やり直しになってしまい、貧血が酷いという事が分かって、鉄剤を出産間近まで飲まないといけなくなってしまった。

フランスでの食生活も影響したのか、フランスで言われていた予定日よりも赤ちゃんが大きすぎるとの事で,予定日が10日早まる。

長男妊娠初期、フランスで悪阻があった時、食べたい物がなかなか手に入らなくて、とても辛かった。

母に頼んで都昆布や茎ワカメ、かりかり梅などとにかく酸っぱい物を食べたくて、送ってもらい、それを受け取った時には気持ち悪くなるくらい食べまくった。

やはり、悪阻がある時というのは自分の国の物が一番口を通りやすいのかもしれない。

日本に住んでいるロシア出身の友達、モンゴル出身の友達も同じ事を言っていた。

悪阻のときは自分の国の食べ物が食べたかったって・・・。

小さな命が宿り始めた時というのは、身体がまた様々な事を感じて様々な作用を起こすのかもしれない。

今回は日本にいたので、悪阻の時に食べたい物がすぐ手に入り、気持ち悪い中でも食べれる物があったのはとても楽だった。

長男の時に自分の体重が増えすぎてしまった事、赤ちゃんが大きくなり過ぎてしまったこともあり、今回は出来るだけ和食を食べる様に心がけたし、何より長男の送り迎えや習い事、公園遊びなど出来るだけ歩いて出かける様に心がけた。

けれど、食べづわりだった事もあり順調に体重が増えていき、VBAC成功の大きな鍵は体重を増やしすぎない事とあったので、毎晩お風呂上がりの足揉みに加えてヨガをする様にした。

足揉みで血液循環を良くするスイッチをONにし、ヨガで通り道を広げてあげる様に、特にヨガでは身体の裏側(背中、お尻、膝裏、太腿裏)を良く伸ばす様に心がけた。

すると、ピタッと体重増加がおさまり、毎日決まった時間にお通じが来る様に。

長男の時には貧血で飲んでいた鉄剤の影響で、便秘にも悩まされ、手が浮腫んでしまって朝起きるとグーに出来ないときもあったり、足が浮腫んでしまったりしたけれど、今回は足揉み&ヨガのお陰か貧血にもならず、手の浮腫も足の浮腫も全く出なかった。

そして体重もあまり増えすぎる事もなく、赤ちゃんの大きさも標準だった。

長男の時は頭の大きさはいつも2週間分くらい大きかったからな。

そして、よく歩く事、足揉み、ヨガに加えて時間がある時には本を読む様にした。

中でも自然出産の本は本当に面白くて、なるほど!と納得する事が沢山書いてあったのと同時に、長男の時に微弱陣痛になってしまった事、帝王切開になった経緯などを思い出しては、もっと早くその本に出会えていれば・・・と感じる事が多々あった。

その興味深い本のについてはまた次に書き留めようと思う。

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    出産 ①VBACについて

    2019年9月29日、次男をVBACで出産した。

    長男の出産と次男の出産、2回の全く異なるお産を通して感じた事、また身体の違いなど、忘れない様に記しておきたいと思う。

    女性にとってお産は自分の身体に大きな変化をもたらすもの。

    私の異なる2つの経験が、これから出産をする人、また出産を経験した人にとって、身体を見直すきっかけになれば・・・と思う。

    VBACとは帝王切開後に経膣分娩で出産する事で、経膣分娩に挑戦する事をTOLAC、経膣分娩に成功する事をVBACという言い方になる。

    長男の出産のとき、子宮口全開で、会陰切開、吸引までしたのに出てこれず、緊急の帝王切開になった。

    頭が大きかった事、へその緒が短かった事など説明され、沢山引っ張られて片側だけ長く変形した息子の頭を見ながら、このままだったらどうしよう・・・という不安と共に、お腹の傷、下の傷の痛み、産後の浮腫に身体も心もキツかった。

    出産数日後、息子に黄疸が出てしまい、光治療も受けた。

    一緒に退院は難しいかもしれないと言われ、黄疸について検索してはまた心配になって、本当に不安だらけだった。

    私自身、一番辛かったのは22時間痛みに耐え、その間助産師さんもほとんど来ない病室で、何も食べられず、水を飲む事くらいしか出来なくて、お腹もぺこぺこだったにも関わらず、手術後は水は飲んではいけない。勿論食べ物も食べる事が出来なかった事が本当に辛かった。

    出産の次の日、お昼か夕方まで何も食べれず、最初の食事は重湯のようなおかゆ。

    数日かけてだんだんご飯らしくなっていったけれど、数日ぶりに普通に焚けた白米を口にした時は涙が出て、1人病室で泣きながらご飯を食べた覚えがある。

    そこまで出て来ていたのに・・・と長男の出産の時には、どこかに後悔の様な気持ちが残った。

    増えすぎてしまった体重の事や、実家に帰ってからあまり運動しなくなっていた事、もう少し自分が気をつけていたら、下から産めたかもしれない・・・という後悔。

    足揉みも毎日続けていたし、まさか自分がこんなに難産になるとは思ってもいなかったし、お産が母体の血液循環を良くする一番の方法だと知っていたから余計に、やっぱり下から産みたかったという想いは強く残った。

    長男を産んですぐ、いつか兄弟を・・・と思っていた私は色々調べ、VBACという言葉を知った。

    VBACにはリスクもある。一度子宮にメスを入れているので子宮破裂が起こるリスクが普通の妊婦さんよりも高くなる。そして、子宮破裂のリスクがある為、促進剤は使う事が出来ない。

    自然に陣痛を待つしか無い。

    また、前回の帝王切開の子宮の切り方が縦切りか横切りかでもVBACに挑戦出来るかが変わってくるらしく、横切りであればVBACに挑戦できると知った。

    次男の妊娠が分かったとき、長男も居るし、もし何かあったら・・・と近くの産院で帝王切開で産もうと考えていた。

    けれど、長男出産後の身体の辛さを考えたら、やはり自然に産めるかもしれない可能性にかけたい!産後の肥立ちを考えたら、やっぱり下から産んで入院期間も最小ですませたい。と思い、悩みに悩んだ末、VBACが出来る病院を探し、近くの産院で広尾の日赤医療センターに紹介状を書いて頂いたのだった。

    VBACを希望している旨を話し、前回の手術経過などを見て頂いた後、VBACに挑戦出来るというお返事を頂き、そこから日赤医療センターに通う事となった。

    日赤医療センターでは、毎回医師は違う医師に診てもらう。

    長男の時にはずっと同じ先生に診てもらっていたので最初抵抗があったものの、これだけ沢山の医師がいるという事に安心感をおぼえた。

    なぜなら、長男を産んだ産院に医師は1人、長男を産んだ日にはお産が重なり、陣痛中に医師はほとんど来ないし、時間も夜をまたいでだったので、助産師さんも呼ばないときてくれない。

    来てくれたとしても、痛みの逃がし方も教えてくれない。マッサージの仕方も教えてくれない。今どんな状況かもよく分からず、励ましの言葉すらない。という状態だったので、人手があるという事に物凄く安心を感じた。

    日赤医療センターでとても良かったのは、定期的に助産師外来があったこと。

    お産で不安な事は無いか、またどんなお産にしたいか、私の場合はVBACだったから、どうしたらVBACが成功しやすいかなど、色々な話を聞いてもらえた事は大きかった。

    また、助産師も沢山いるから、聞きたい事があればいつでも助産師に声を掛けて!と言って頂き、出来るだけ不安が無いようにと声を掛けて頂けた事は本当に安心感があった。

    日赤医療センターでのVBAC成功率は7割くらい。少しでもおかしいと判断したら、直ぐに帝王切開に切り替えるという事を最初に言われていたので、妊娠中の体重管理、また出来るだけ身体を動かす事を心がけた。

    そして、VBACに挑戦すると決まってから、出産についていくつか本を読んだ。

    自然出産の本や、産科医の書いた本、お産に関する事、陣痛の仕組みやなぜ微弱陣痛になってしまうのかなど、納得する話が沢山あり、長男を出産したときの自分と当てはまる事が沢山あり、もっと早くこの本達にであっていたら・・・・とまた少し後悔したものだった。

    一回では書ききらないので、次回は妊娠中に勉強した事、実行していた事、それを通しての身体の変化について書いてみたいと思う。
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      生まれる

      ここ数日で、また命について考える様な出来事があった。

      自分が子供を産んでみて初めてお母さんの気持ちというのが分かったけれど、本当に「無償の愛」という言葉がピッタリなのだな。と思う。

      そりゃ母親も人間だから、子供にイライラする事だってあるし、ムカついちゃう事だってある。

      けれど、子供が健康であること、子供が笑顔で居られること、子供を心配する気持ちは今までに感じた事の無いような感情。

      勿論、大切な人にも同じ様に思うけれど、また自分の子供に思う感情というのは特別なものがあるものだ。

      そうして自分が母親になってみて、改めて自分の母や父に感謝の気持ちが湧く。

      人というのは、こうやって自分のしてもらった事をまた返し、そしてその子供がまた同じ事を自分の子供に返し・・・と繋がって行くのだと思うと、今ある自分の命の重さもまた改めて考える。

      最近、息子の成長が目覚ましい。

      イヤイヤも激しいけれど、彼なりに色々な事に一生懸命で、時に感動させられる。

      最近スイミングがとても楽しいようで、数日前からお風呂で自ら潜り、結構長い時間潜っていられる様になりビックリ。

      今まで少し顔を付ける事は出来たけれど、自分で頭までもぐって、もっと長くもぐっていられるように!とチャレンジしている姿はたくましく、カッコいい!!

      そしてプレ幼稚園では母子分離になり、どうしても「いってきます」をする時に寂しくなってしまうようで、ここ数回は周りのお友達も泣いていた事もあり、泣いていた。

      中に入ればお友達とも遊んで笑顔だったと先生がおっしゃっておいたけれど、中に入るまでに息子の中で葛藤がある様子。

      迎えに行くと、我慢していた感情があふれて涙が溜まるけれど、彼なりに一生懸命頑張っている姿は本当に感動してしまう。

      前回「泣いちゃった」と申し訳なさそうに言う息子に、「泣いてもいいんだよ!でも頑張ったね」と声を掛けた。

      幼稚園の先生も「我慢しなくていいんだよ。泣いても全然いいんだよ。」と言われたら、今日は珍しく行く前に玄関で号泣での「嫌だ!!行かない!!!!」の一点張り。

      何とかお話しながら、息子が一生懸命自分自信に何かを言い聞かせてているような仕草の後「頑張る!!」と言って泣き止んだ姿には、本当に感動してしまった。

      今日もまた、中に入ってからは泣く事も無く、お友達と遊びながら笑顔がみれたと先生から聞き安心したけれど、小さな身体で沢山の事を思い、沢山の事を考え、成長しているな・・・と思うと、本当に感動。

      毎日、息子の中にも沢山の感情が生まれているのだな・・・と改めて思う。

      本当に、息子から沢山の事を教えてもらっている。

      今考えている子供の為のWS企画。

      この企画を考えている時間が、本当に楽しくて充実しているけれど、最初に考えていたアイディアから大分進化して、自分なりには良く出来た気がする。

      この企画を考える事が出来たのも、やはり息子と過ごす時間を通して沢山のヒントを貰ったから。

      ここ数年子育てに負われる毎日で、自分の事はそっちのけだった。でも、それも自分で決めた道。

      もっと自分の事がしたい!と思うときもあったけれど、やっぱり私にとっては息子と過ごす時間が最も大切な時間だった。

      けれど、今自分のしたい事を息子から大きなヒントを貰って出来ている事は本当に嬉しい事。

      自分の考えた企画が現実に出来る事は狭き門だけれど、こんな可能性が巡って来た事に、これから先の可能性が更に広がった。

      これから先が、また楽しみになった。

      今出来る事、精一杯頑張ろう。

      最近の息子の成長する姿が、また勇気をくれる。

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        おっぱい事情

        昨日、児童館でオッパイ話になった。

        今妊娠中の2人のママ達とおっぱい事情についての話を通して、自分の経験から官足法がどんなにおっぱいに良い影響を与えるかお話ししたら、ママ達は驚いて、ぜひその療法を知りたいと興味を持ってくれた。

        母乳は血液。血液循環が悪ければ質の良い母乳は作られない。母乳が出ない・・・という方は、大体血液循環が滞ってしまっている。循環さえ良くしてあげれば、母乳は必ず出るはず。

        女性の身体は、赤ちゃんを産んだら必ず母乳が出る様になっているのだから。

        聞いた話によると、出産後すぐにおっぱいマッサージの施設に通う様に!と言われているらしい。

        一人のママは、第一子を産んだ後に施設に通っていたにも関わらず上手くおっぱいが出なくて、最終的には「今回は失敗したけど、次は頑張って」なんて言葉をかけられて、とても落ち込んでしまったという。

        癌や不妊治療の話とかぶるけれど、やはり患部だけを見るという事では解決出来ない事は沢山。

        根本の所に目を向けなければいけないのでは・・・と思う。

        私は完全母乳で息子を育てたけれど、世で言われている「差し乳」というものだった。

        差し乳の特徴は、授乳時間をあけてもおっぱいが張らない事や、搾ってもほとんど搾れないけれど、赤ちゃんが吸うとごくごくと飲んでいる事、そして授乳リズムが整えば、飲みたい分だけ作られる様になる。というもの。

        実際、私のおっぱいは授乳時間が空いてもまり張る事はなかったし、おっぱいパットも買ったけれど、一度も使う事なくゴミになってしまった。息子が少しでもくわえれば、噴水の様にシャーっとおっぱいが出てしまう程。

        昨日話していたもう一人のママは、おっぱいは出るのだけど溜め込むタイプのおっぱいで、パットが毎日欠かせなかったらしく、おっぱいマッサージの方にも間をあけてしまうと質の悪いおっぱいをあげる事になるから、時間をあまりあけない様に注意されたそうな。

        ネット情報によると、溜め乳の母乳の色は黄色みがかっているらしいけれど、差し乳の母乳の色は青みがかった白色をしているとのこと。確かに、白!という感じでは無かったな〜。と思い出す。

        おっぱいを飲ませる事で、子宮の収縮や母体のさまざまな所を回復させてくれる効果がある事や、赤ちゃんにとっても母乳を吸い出すという作業を通して、お母さんとのスキンシップだったり、顔全体の筋肉を沢山使っておっぱいを飲む事で、脳の発達を促せてくれるという、なんとも本当に優れものなのである。

        息子と同じ時期に友人が双子ちゃんを出産した。友人は、出来るだけ母乳で育てようととても頑張っていたけれど、2人分のおっぱいはやはり足りなくて、ミルクをあげていたそうな。

        出産から数ヶ月して、双子ちゃんを連れて遊びに来てくれた時、母が友人の足の状態を見て、少しだけ手で足の凝り固まった所をマッサージした。

        すると、友人から連絡があり、その日以来ミルクがいらなくなり、2人分の母乳が出る様になったのだと驚いていた。

        友人は、足を伸ばして座った時に足の小指を床の方に倒せないくらい、太腿が張ってしまっていたけれど、そこをほぐしてあげたら見事に母乳が沢山出る様になったのだ。

        そして、血液の巡りが良いと母体の回復も本当に早い。

        母乳をあげている時には生理は来にくいと言うけれど、私は出産から二ヶ月で生理が再開し、全くリズムも狂わずに完全に産前と同じ様に戻った。

        児童館などでママ友達にその話をしたら、大変驚かれたけれど、これも血液循環を良くしている事が引き起こしてくれている事だと実感した。

        産前、産後の方達にも、この素晴らしい血液循環法、広めていきたいものです。

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        まだ母乳だけ飲んでいた頃。

        ムチムチ過ぎて、一重だった息子。首がすわったら、どんどん痩せていきました。

          産まれる

          やっとこさ色々な事が落ち着いて来たので、これからの人生で絶対に忘れる事の出来ない長男誕生の事を書き留めておこうと思う。

          11月11日、夜からおしるしのようなものがあり、陣痛のようなお腹の痛さは時々やって来るものの、間隔があるのでそのまま眠りにつく。

          11月12日、朝からお腹の痛さが15分間隔くらいでやって来て、産院に電話。

          10分間隔になるまで家で待機してくださいとの事。お昼を食べて、10分間隔になったのはもう19時近く。

          もう一度産院に電話すると、6〜7分間隔になるまで待てとの事で、更に待って夜22時過ぎについに6〜7分間隔に。産院に向かった。

          その日は4人の出産があったとの事で、ついてから普通の部屋で少し待たされる。

          出産を終えた先生が私の内診をすると、なんと破水していると!!!全く気づかなかった・・・。

          そして破水しているから、もし今日中に産めなければ、促進剤を使って明日中には産まなければいけないという話をされて、陣痛の間隔が狭まって来る事を期待しながら、陣痛の痛みに耐えながら夜を過ごすも、陣痛が一度収まってしまって30分くらい間が空いたりしながら朝に・・・。

          9時過ぎに促進剤を打ちはじめ、いきなり凄まじい陣痛が襲ってくる。痛いなんてもんじゃない。

          どんどん陣痛の間隔が狭まり、耐えられずナースコールを押しまくってしまう。

          いよいよ子宮口も全開という事で、先生もいらっしゃったけれど、どうやら頭がなかなか出てこないとの事。

          会陰切開をしますと言われ、それでも駄目だと吸引をするという事に。

          小さな吸引では駄目で大きな吸引にするもまた駄目。最終的には、陣痛が来た時に吸引するのと同時に3人の助産師さん達に上から、そして左右からお腹を思い切り押される。痛いし、苦しいし、本当に辛かった。

          これで駄目なら、帝王切開になります。と言われ、最後の最後まで頑張ったけれど、緊急で帝王切開手術を受ける事に。その頃には、私の体力も限界に達していて、もの凄い震えにガタガタして、話をする事もままならない。

          終わりの見えない辛さに、帝王切開になった事に少しホッとした自分がいた。

          意識も朦朧としている中、手術が始まり、午後15時30分長男の元気な産声をやっと聞けたのでした。

          その瞬間は、感動なんていう言葉ではすまないくらい、今まで感じた事のない気持ちで涙が溢れた。

          赤ちゃんの声が聞こえた瞬間に聞こえた別の声。「うわ〜!大きい!!!これじゃ出ないわ」という先生の言葉。

          私の狭い骨盤に対して赤ちゃんの頭が大きかったとのこと。それに加えて、私の尾骨が内側にカーブしていて、頭も引っかかってしまった様。そして、胎盤が上の方についていたのに対して、へその緒が短かったということも、出て来れなかった要因になったようで、色々な事が重なってしまったのでした。

          壮絶な23時間での出産。

          11月13日(水)15時30分、3580gの元気な男の子を無事に出産致しました。

          大変な出産だったけれど、何よりも元気に産まれて来てくれただけで神様に感謝。

          本当に、死ぬ気で産んだ子でございます。

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          しかし、身体の戻りはなかなか早いようで、初産で帝王切開でもあるのに子宮の収縮が良かった様子。

          翌朝、もの凄いお腹の痛さで目が覚めてナースコールを押し、薬を出してもらったら、子宮の収縮の痛みでしょうと言われ、助産師さんに珍しいと言われる。

          手術後は足のむくみが酷く、倍くらいの大きさになってしまったけれど、それも一週間でほとんど無くなり、体重は既に7kg減った。

          大切な大切な赤ちゃんには、瑛士(えいじ)という名前を付けた。

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          11月13日、瑛士の誕生日には毎年この辛かった出産を思い出しては神様に感謝するのだろうと思う。

          素晴らしい宝物をいただけた事、一生忘れません。

          これから瑛士がすくすくと育っていけますように・・・。

          あの出産の辛さに比べれば、この先何だって耐えられる気すらする。

          けれど、一目息子の顔を見ただけで、辛かった事全て吹っ飛んでしまうから不思議。

          本当に感謝の気持ちだけです。

          これは、産院へ行く前に家でくつろぐ様子を旦那さんがビデオに収めてくれた模様。

          こんなにお腹大きかったのか〜!とびっくり。

          もうすっかり、お腹が大きかった時の記憶は無くなってしまっているから不思議です。

          良い記念。

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