Shareするということ

IMG_0815今日、okatte西荻という場所で「ずっといっしょ」というドキュメンタリー映画の上映会があった。

http://www.okatte-nishiogi.com

子連れで行けるという事もあり、会場に興味があった事もあり、息子と参加した。

映画の内容はとても興味深く、妊娠中に見た「生まれる」というドキュメンタリー映画の続編のような感じで、何度も涙が頬を伝うシーンがあった。

映画が終った後、少し感想をシェアする時間というものがあった。

これは、苦手なやつだ。

「では、この映画を見た感想をシェアしたいと思います。お近くの人とシェアしてみてください。」とスタッフの方がおっしゃっていたのだけれど、私はこの手のものはあまり好きではない。

シェアする事が好きではないのではなく、そんなものは言われてするものでは無い様な気がするからだ。

私は、映画でも作品でも、見た後には少し自分の中で考えて消化する時間が欲しかったりする。

気のしれた仲であれば感想を言葉に出す事で再確認する事はあるけれど、全くはじめて会った人と、

「今からシェアしてください」のかけ声でシェアする事って疑問が残る。

幸い息子がちょろちょろしだしたので、息子と時間を過ごしている間にシェアの時間は終わった。

私は、自分のダンス作品を発表する場を作るときやWSを開催する時にまず考える事がある。

それは、どうしたら初めてその場に集まった方達が同じ空間を、同じ時間をシェアし、分かち合う事が出来るだろう??と考える。お客さんだけでなく、私自身も含めて・・・。

ダンスの公演では、伝わっているかは分からないけれど、自分もその場、その時でしか感じられない事を表現出来る事柄を入れたり、演者・観客という間に出来る壁をどのようにしたら取り払う事が出来るだろうかと考える事が多い。そうして発信した物には、お客さんはこちらからアプローチをしなくても必ずと言って良い程に反応をくれるし、中には言葉に出さずとも、自分の中で色々な想像を繰り広げている人だっている。

そのひとそれぞれが、その人のタイミングで、そしてその人にとって一番心地良い方法で反応をしてくれるのが一番良い方法なのでは?と思っている。

その事については、今開催しているWSでも同じ。地元でのWSはお茶の時間を取れないので非常に残念なのだけど、実技のあとのお茶の時間が実は私が一番したいことに近い様な気もする。

お茶の時間では、美味しい物を食べながら普通にお茶をするのだけれど、人間というのは本当に不思議なもので、同じ場所、時間を共有した人、またWSの場合、同じ痛みを共有していると、互いに助け合ったり、励まし合ったりする事で互いの距離はどんどん近づき、お茶会をする頃にはすっかり心の窓を開放的にあけて、色々な話をするようになる。

それは私が故意的に「さぁ、今からシェアします!」なんて意気込んでいるものなどではなく、本当に自然に自分の話をしたり、身体の話をしたりで皆さんがWSを通して時間をシェアし合っていて、毎回お茶会で頂くヒントはそれはそれは大きなものである。

そんな事に改めて気づかせてくれた今日の映画鑑賞であった。

ダンスの公演でもWSでも、やはり私の目指している所は同じ所に続いているな。と、これからも自分に出来る事を精一杯やっていこう!!と思うのでした。

表情を見る

私はわりと人の表情を読み取る事が得意だ。

きっとこの力は海外生活で培えたものだと思っている。まだ英語もろくに話せなかった頃、人の表情を読み取る事で内容をキャッチしていた部分がおおいにある。

英語が話せる様になってからも、ポルトガルで生活した事で、また新たに未知の言語を習得する上で、やぱり人の表情から何を言っているのか探ることは癖になった。

ポルトガル語は学校には全く通わなかったけれど、リスボンから日本に帰る前の頃にはブラジル人に間違われるくらい、仲の良かったブラジル人の友人達の影響を受け、ブラジルアクセントのポルトガル語はなかなか上達した。けれど、全然使っていないからもう出てこなくなってしまっているのはとても残念。

日本に帰って来てからというもの、人の目を見て表情を観察しながら話すという事が当たり前になっていた私は少し変な人だったようで、何人もの人に「すごく人の目を見て話すよね。」「じっと見られて恥ずかしくなる」と言われたものだった。

最近、官足法という療法を通して様々な方にお会いする機会があるけれど、足を見れば身体・心の状態が分かる様に、人は顔を(表情)を見る事でも沢山の事が分かってしまうな。と思う。

いつも笑顔で穏やかな人がある言葉を聞いた時に一瞬みせた鋭い表情だったり、いつも緊張した面持ちの方がある言葉を聞いたときに見せた頬の緩み方だったり、人は意外な一瞬に意外な表情を垣間みる事があったりするけれど、実はそのふとした一瞬の方が本当の姿だったりする事があるのではないかな。と思う。

そして、実はそんな些細な出来事で人は一瞬にして身体の血液が止まってしまったり、逆にそれをきっかけに血液を動き出す事が出来てしまうと思っている。

それは、息子と生活している中で気づかされた大きな事の一つ。

自分の顔は自分では見えないけれど、特に子供は親の表情をよく見ている。私が不機嫌な顔をすれば、たちまちイタズラがエスカレートして行くし、笑顔でいるとき程、息子も安定しているのだ。

人生には色々な出来事があるし、自分に合った人も居れば合わない人もいる。

けれど、それは当たり前の事で、どんな時でも自分がいい状態でいられる事を大切にした方が良い気がする最近。

不思議な事に、自分の身体の状態が悪い時に繋がったご縁は続かなかったりもする。

自分が良い状態で居れば、不思議と自分に合った人や物や事柄に出会い、そのご縁は続いて行くし、必要ない物は不思議と遠ざかって行く様になっている気がする。

昨日の母の患者さんとのある会話から、改めてそんな事を思った。

子育て中であったって、自分へのご褒美も必要。今の私の楽しみは、息子が寝た後に旦那さんに家にいてもらい、一人で行きつけのワインバーに行く事。そして最近覚えた一人カラオケ。

そして、そろそろ身体を動かす為にバレエのクラスを受けに行こう!!と、今日息子の一時保育を予約した。

人は人から沢山のヒントを頂く。昨日の母の患者さんとの会話で、彼女は私と話せて良かったと言ってくれたけれど、人と話をする事で自分の気持ちを再確認する事は多い。

逆に、私が自分自身の気持ちを再確認させて頂いた。

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写真は、仰向けで凄い顔で寝ているネロを必死で起こす息子。

「ネロちゃん、怖い・・・・。ネロちゃん、起きて!!」と、ただ事ではない!と思い叩き起こした様子。

爆睡していたネロは何事かといった表情。

息子なりの優しさ。

燃え続けること

IMG_0798実家には薪ストーブがある。

火の番をしていると、私達人間の身体の中で起きている事が良く分かる。

薪ストーブの火を絶やさず燃やし続ける様にするには、火が循環していける様にしっかり釜を温めなければならない。火は、炎が見えたからといって完全についたとは言えない。

しっかり火がついていないうちにストーブの扉を閉めれば、たちまち火は消えてしまう。

やはり、火がしっかり循環して燃え続けるまでには時間もかかるもの。そして、一番ネックになるのが空気の入れ方だったりする。

これは正に、人間の身体の中で起こっている血液循環のシステムと同じ。

人間の血液循環においても、とても重要となって来るのは酸素。私達の身体は心臓と肺とがセットとなって働く事によって血液を送り出している。私達の血液も、酸素と一緒に運ばれているけれど、上手く呼吸が出来なくなると、たちまち血液循環は上手くいかなくなってしまう。

薪ストーブに火をつけて上手く行かずに消えてしまった時に良く思い出すのは、私達が行う運動の事。

運動をする事は身体を動かしているのだから血液の循環を良くするにはとても良い事だと思っている人は多いと思う。けれど、身体の中がきちんと燃えていなければ、きちんと循環できる形で燃えていなければ、表面上で見えている炎の状態と同じになってしまう。

火がきちんとついていない時というのは、もの凄く煙がでる。つまり、煙突に煤が溜まってしまう。そうすると煙突が汚れてしまい、その汚れが溜まりすぎると煙が逆流して来る様になってしまう。

人間の身体も同じ。身体の中がしっかり燃えていなければ、身体の中に汚れが溜まる。

薪は完全に燃焼すればサラサラの灰になるけれど、そうでなければ黒くべたべたした物が残る。

人間の身体も同じ。中途半端に燃やしたエネルギーは、身体にべたべたした老廃物を残してしまう。

運動もしっかりした知識をもって行わなければ、ただ汚れを溜めてしまう様な事になりかねない。

それを避ける為には、身体の中からエネルギーをしっかり燃焼させる事を出来る様にならなければいけない。

でも、身体の中を意識するという事はとても難しいし、伝えにくいもの。

だからこそ、運動をした後の身体の掃除を忘れてはいけないな。と思う。

そして、しっかり身体が燃えている時というのは自分の中の色々なセンサーが敏感に働く様な気がする。

私は結構ひらめきを大切にしているのだけど、そうして不意にひらめいた事を実行に移す時、必ずと言っていい程にまるで神様がいて、上手く行く様に調節してくれているのではと思う様な事が起こる。

例えば今まで、ふと思いついて行った旅では自分の人生での大きなきっかけとなる様な出来事に遭遇する事が多かった。

大きな事で言えば、結婚式。結婚式の事を決める時、旦那さんのご両親が見せてくれたあるパンフレットが和装で緑に囲まれた場所での写真で、全然考えていなかった明治神宮も良いかも!と思って連絡すれば翌日がたまたまフェアの日で、模擬結婚式を見学すれば新郎新婦役をやる事になり、何かご縁を感じて日にちを確認すれば6月、週末、大安吉日、一番人気の部屋がすっぽり空いていた。結婚式の10日前に父が倒れるも結婚式当日には80%雨の予報を覆し、晴天で家族揃って結婚式が出来たという事があったものだった。

今回は、その時に似たような思いつきがあったのだけれど、やっぱりな!と思う様な事が。

来年から幼稚園の息子。今住んでいる杉並区は幼稚園の激戦区らしく、ママ友達からこわ〜い噂を沢山聞いていた。希望の幼稚園に入れなかったらどうしよう・・・とず〜〜っと気にしていた。

プレに入る事も難しく、徹夜で並ばないといけない幼稚園もあると聞いて、そこまでしなくても入れる所が縁のある所かと思っていたし、今の所気に入っている幼稚園の一つはプレは無く、募集人数を超えたら抽選になるという幼稚園であったから、とりあえずそこにかけるかな。と思っていた。

のだけれど、ある日突然夜中に目が覚めて、息子の幼稚園の事を考えると眠れなくなってしまった。

実は、プレに入るのも難しい・・・という幼稚園は、幼稚園を調べ始めた時に一番に気に入った所。

もう一度その幼稚園のHPをみると、やはり魅力的ではある。中にはプレに入ると必ず入園しなければならない所もあるけれど、そこの幼稚園はそういう訳でもない。でも、入園はしやすくなる。恐らく、人気の幼稚園だし、プレ無しで入る事はとても難しい。

他に気に入っている所もあるけれど、もしも入れなかったら・・・。

今から1年間、希望の所に入れるか・・・とおびえて過ごすくらいなら、一つ自分の本当に気に入っている幼稚園に入れる保険が欲しい!という思いでプレに申し込む事に。

しかし、徹夜で並ぶといっても旦那さんはその日国外。私も息子がいるから並ぶのは難しく、並んでくれる便利屋さんを探して申込の時間より12時間前から並んで頂く事に。(この便利屋さんは12時間パックというシステムがある非常に良心的な会社)

申込前日、並び始めたら連絡しますという話だったのだけれど、その時間よりも随分前に電話が入る。

「他の方から同じ幼稚園のプレの申込に大至急並んで欲しいという依頼があって、もう既に人が沢山並んでいる様なので、前倒しして並びましょうか??」と。

お願いすると、到着した時点で90人募集の中の77番目だったそうな。

私がお願いしていた時間には90人を超えで締め切られて、皆さん帰されていたそう。

よくよく話を聞いてみると、もう一人同じ依頼をした方は当日飛び入りの依頼だったらしく、幼稚園のご近所に住む方で、様子を観に行ったら既に長蛇の列だった為、大至急に依頼をしたのだとか。

もしその人が依頼をしていなければ、完全にアウト。

他の会社に比べたら、とても良心的なお値段設定だったにも関わらず、スタッフさんの親切にも大きな感謝です。

結局、早めに中に入れて頂けたみたいで温々した室内で過ごせたので良かったとスタッフさん。

「しかし、突然の依頼をした方がいなければアウトでしたね!!!電話の方に感謝です。」と。

本当に上手く行く時にはどんなピンチになっても上手く行くのだな。と感じた出来事。

その電話の方に会える時が来るかな。

またこの出来事を通して、自分のひらめきや思いつきは大切にしなければ!!と思います。

大事な事をしっかりキャッチ出来る様に、いつもしっかりエネルギーを燃やし続けていなければ。

幻覚と血液循環

今、旦那さん出張の為実家に帰省中の中、人間にとって血液循環というものがどれほど影響を及ぼしているのか垣間みる出来事があった。

実家にいると母の患者さんや患者さんとのやり取りを通して、本当に沢山の事に気づかせて頂く。

今日、いつも母の元に足もみに来ているおばあちゃんがチャイムを鳴らした。私が玄関を出ると、明らかに顔がいつもと違う。

急いで母を呼び母が話を聞くと、病院で薬を変えたら歩けなくなってしまったというおばあちゃん。

元々、パーキンソン氏病のおばあちゃん。調子が悪くなると(血液が滞ると)たちまち身体が動かなくなってしまう。足もみに来る前は歩く事もままならなくても、治療のあとは別人の様に動ける様になっている様子は何度も見た事があったけれど、今日はそれとも様子が違う。

よく話を聞くと、変な人が家に来るのだという。お化けが沢山見える。今もそこから見ている。と。

目は完全にすわってしまっていて、まるで何かに取り憑かれてしまったかの様に無表情で、何を言っても変な人がうちに来るのだ。と言って聞かない。

どうやら月に2回施術を受けているおばあちゃんだけれど、年末年始で治療が月1回しか出来なかったらしい。

手を触ると異常に熱く、完全に血液が滞ってしまっている。

おばあちゃん、血液が全然廻らなくなてしまっているから変な物が見えるのだよ!と母が言い聞かせる。送って来てくれたおじいちゃんも家の中に入ってもらって様子をまた詳しく聞くと、病院の先生にも変な人が来るのだ・・・という様な事を言ったら、担当医も変わって薬も変わったのだそうな。

おばあちゃん、変な人なんてどこにもいないよ!血液の循環が悪くなると身体が動かなくなってしまう様に、血液の循環が悪くなっているから変な人が見えるだけ。おばあちゃんが自分で変な人を想像で創りだしているのだよ!!変な人なんてどこにもいないよ。

と言い聞かせながら、「そういう時はどうするの??足を叩くんでしょ??」と言って手を足に持って行かせると、最初は変な人が変な人が・・・と言いながら手がなかなか動かなかったけれど、徐々に手が動いて足(腿の所)を叩ける様になるのと同時に、話がはっきりして来た。

良く聞くと、変な人が家にやって来ておじいちゃんに股がり、おじいちゃんに気持ちよい思いをさせているのだという。そんな風にされたら焼きもちがやけてしまって嫌で嫌でしょうがないのだと。

話が色々出て来る様になったら、太腿を叩いていた手はより強く叩ける様になり、目が段々といつものおばあちゃんに戻って来た。

すると、「あ、変な人が後ろを向いて帰ろうとしている。あ、あっちに歩いて行っちゃった。あ、車の後ろに背中丸めて隠れちゃった。あ、居なくなった。行っちゃったよ」と。

人間って凄い!!と思った。

この会話だけ聞いたらきっと、精神異常の人だと思われて、精神安定剤を投与されるだろう。

もしかしたら、病院で新しく出された薬はそうなのかもしれない。

けれど、血液の循環が良くなれば確実に変な幻覚がなくなっていった。

それには親身になって話を聞いている母との信頼関係が大きなものだとは思うけれど、人はこんなにもある出来事を通して変わってしまうのか。と驚いたと同時に、人間の脳や身体の不思議を垣間みた気がした。

すっかり元に戻ったおばあちゃんは、「私はお父さん(おじいちゃん)が他の人と楽しそうに話しているだけで焼きもち焼いちゃうんよ。お父さんが居なくなったら生きて行けない」と言っていた。

きっと、人は自分でもコントロールが利かなくなってしまう様な時に本当の自分が現れるものだと思う。

そんな時に、おじいちゃんへの焼きもちが出たおばあちゃんは、ずっとずっと、おじいちゃんの事が大好きなんだな。と思うと、おばあちゃんの他の人には見えていない変な人への焼きもちが、とても素敵なものに感じて感動してしまった。

今まで聞いた話でも、かなり波瀾万丈な人生を生きて来たおばあちゃん。

今日も新聞に、認知症になったときの症状は、幼少期の体験がそのまま戻って来てしまう様になる人が多いらしいという事が載っていたけれど、おばあちゃんにとっておじいちゃんとの事が一番頭に大きく残っている事なのかもしれないな。と思った。

私もいつまでも旦那さんに焼きもちを焼いてしまうくらい、大好きな気持ちをずっと持っていたいな。

来た時には歩く事もままならなかったおばあちゃんは、「変な人が見えたら足叩くね。」と言い、一人ですたすたと歩き、帰る時にはニコニコ笑って息子に投げキッスまでして帰って行った。

おばあちゃんの滞ってしまっていた血液は無事に動き始めた。

今日、息子のお昼寝中に旦那さんの作ったダンス展の図録を読んでいた。色々な方の文章から様々な言葉が響き、メモを取りながら読んでいたけれど、田中泯さんのインタビューの最後にこんな言葉があった。

「踊りの事を考えていれば人間の事がわかる。人類のことがわかると思い始めている」と。

私は母のもとで沢山の人の沢山の身体の変化を見せてもらう事で、踊りの事を考える上で大きなヒントを頂いている気がする。

私はまだまだ未熟で、田中泯さんの様に言えるまでにはまだ何十年もの月日と経験が必要だと思うけれど、今、母の活動を通して色々な人に会わせて頂いている事や、息子の親になった事で踊りの事をより深く考えるヒントを頂けているな。とつくづく感じた。

今は踊る事ではなく、踊りの事を考える時期なのだと思えて来た。

実は、今年ダンスでやりたい事があった。けれど、その新しい試みは今まで自分がやって来た試みよりも規模が大きな事。あるサポートが無ければ実現出来ない事だったのだけれど、今年は無理だという事が分かった。しかし、来年であれば可能だと思うと・・・・。

それを知ったときはがっかりしたけれど、今思えば来年になれば息子も幼稚園に行き始め、自分の時間が持てる。幼稚園に行くまでは、子育てを第一に考えたいと思っている私にとっては、やはり思い切り出来るのは来年であろう。

やりたい事はあるけれど、やはり今は焦らずに自分の中身を磨く時なのだ。と改めて思う事ができた。

おばあちゃん、そして旦那さんの作った図録、そして田中泯さんの言葉、

沢山の気付きをありがとう。

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出会えて良かった

先日、ある方の施術をした。

施術の後、身体の事、そして心の事、身体と心の繋がりの事、今ある身体の状態とその方の身体がどれだけ敏感に反応しているか・・・という事など、色々なお話をした。

すると、その方から「本当に先生に出会えて良かった。」と言っていただいた。

嬉しかった。

人との出会いや物との出会い、場所との出会い、ある事柄との出会い。人生には様々な出会いが日々あるけれど、出会えて良かったと言って頂ける事は、何かもの凄いパワーを頂ける。

今日、旦那さんの企画するダンス展「Who Dance?〜振付けのアクチュアリティ〜」が最終日を迎えるため、改めて足を運んだ。

以前足を運んだ時は、息子を見ながらだったのでなかなかゆっくり観れなかった。

今回は私が見ている間は旦那さんに息子を見ていてもらってゆっくり展示を見て回ることに。

改めてゆっくり観れた事で見えてきた事が沢山あった。

展示を見終わり、息子を迎えに行き旦那さんとは別れるも、息子のおやつを預けたままだった事に気づき、また展示室に向うと、旦那さんが一人の方と話をしている。

話が終った所で挨拶をすると、その方は少し興奮した様に「この展示のお陰で、ダンスの面白さに気づかせてもらったんですよ!!!」とお話してくれた。

この展示に出会えて良かった。とおっしゃっていた。

旦那さんが息子のおやつを持って行っていなかったら、私はこの言葉を聞く事は出来なかったのだけれど、この言葉を聞けた事は自分の事の様に嬉しく、旦那さんが精魂込めて準備をしたこの展示によって、一人の人の人生にダンスという物が面白い物として加わったのだと思うと、なんだか感動してしまった。

そして、自分が一生懸命力を注いでした事には、人は必ず動かされるものなのだな。と、何においてもやはり、地道にコツコツと自分の力を注いで行く事を辞めては行けないな。と思った。

とても良い週末になりました。

ダンス展は終っても図録は購入可。

倒れてしまうのではないかと心配する程に、旦那さん魂かけてつくりあげた図録。

是非、1人でも多くの方に読んで頂きたい。

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