今、旦那さん出張の為実家に帰省中の中、人間にとって血液循環というものがどれほど影響を及ぼしているのか垣間みる出来事があった。
実家にいると母の患者さんや患者さんとのやり取りを通して、本当に沢山の事に気づかせて頂く。
今日、いつも母の元に足もみに来ているおばあちゃんがチャイムを鳴らした。私が玄関を出ると、明らかに顔がいつもと違う。
急いで母を呼び母が話を聞くと、病院で薬を変えたら歩けなくなってしまったというおばあちゃん。
元々、パーキンソン氏病のおばあちゃん。調子が悪くなると(血液が滞ると)たちまち身体が動かなくなってしまう。足もみに来る前は歩く事もままならなくても、治療のあとは別人の様に動ける様になっている様子は何度も見た事があったけれど、今日はそれとも様子が違う。
よく話を聞くと、変な人が家に来るのだという。お化けが沢山見える。今もそこから見ている。と。
目は完全にすわってしまっていて、まるで何かに取り憑かれてしまったかの様に無表情で、何を言っても変な人がうちに来るのだ。と言って聞かない。
どうやら月に2回施術を受けているおばあちゃんだけれど、年末年始で治療が月1回しか出来なかったらしい。
手を触ると異常に熱く、完全に血液が滞ってしまっている。
おばあちゃん、血液が全然廻らなくなてしまっているから変な物が見えるのだよ!と母が言い聞かせる。送って来てくれたおじいちゃんも家の中に入ってもらって様子をまた詳しく聞くと、病院の先生にも変な人が来るのだ・・・という様な事を言ったら、担当医も変わって薬も変わったのだそうな。
おばあちゃん、変な人なんてどこにもいないよ!血液の循環が悪くなると身体が動かなくなってしまう様に、血液の循環が悪くなっているから変な人が見えるだけ。おばあちゃんが自分で変な人を想像で創りだしているのだよ!!変な人なんてどこにもいないよ。
と言い聞かせながら、「そういう時はどうするの??足を叩くんでしょ??」と言って手を足に持って行かせると、最初は変な人が変な人が・・・と言いながら手がなかなか動かなかったけれど、徐々に手が動いて足(腿の所)を叩ける様になるのと同時に、話がはっきりして来た。
良く聞くと、変な人が家にやって来ておじいちゃんに股がり、おじいちゃんに気持ちよい思いをさせているのだという。そんな風にされたら焼きもちがやけてしまって嫌で嫌でしょうがないのだと。
話が色々出て来る様になったら、太腿を叩いていた手はより強く叩ける様になり、目が段々といつものおばあちゃんに戻って来た。
すると、「あ、変な人が後ろを向いて帰ろうとしている。あ、あっちに歩いて行っちゃった。あ、車の後ろに背中丸めて隠れちゃった。あ、居なくなった。行っちゃったよ」と。
人間って凄い!!と思った。
この会話だけ聞いたらきっと、精神異常の人だと思われて、精神安定剤を投与されるだろう。
もしかしたら、病院で新しく出された薬はそうなのかもしれない。
けれど、血液の循環が良くなれば確実に変な幻覚がなくなっていった。
それには親身になって話を聞いている母との信頼関係が大きなものだとは思うけれど、人はこんなにもある出来事を通して変わってしまうのか。と驚いたと同時に、人間の脳や身体の不思議を垣間みた気がした。
すっかり元に戻ったおばあちゃんは、「私はお父さん(おじいちゃん)が他の人と楽しそうに話しているだけで焼きもち焼いちゃうんよ。お父さんが居なくなったら生きて行けない」と言っていた。
きっと、人は自分でもコントロールが利かなくなってしまう様な時に本当の自分が現れるものだと思う。
そんな時に、おじいちゃんへの焼きもちが出たおばあちゃんは、ずっとずっと、おじいちゃんの事が大好きなんだな。と思うと、おばあちゃんの他の人には見えていない変な人への焼きもちが、とても素敵なものに感じて感動してしまった。
今まで聞いた話でも、かなり波瀾万丈な人生を生きて来たおばあちゃん。
今日も新聞に、認知症になったときの症状は、幼少期の体験がそのまま戻って来てしまう様になる人が多いらしいという事が載っていたけれど、おばあちゃんにとっておじいちゃんとの事が一番頭に大きく残っている事なのかもしれないな。と思った。
私もいつまでも旦那さんに焼きもちを焼いてしまうくらい、大好きな気持ちをずっと持っていたいな。
来た時には歩く事もままならなかったおばあちゃんは、「変な人が見えたら足叩くね。」と言い、一人ですたすたと歩き、帰る時にはニコニコ笑って息子に投げキッスまでして帰って行った。
おばあちゃんの滞ってしまっていた血液は無事に動き始めた。
今日、息子のお昼寝中に旦那さんの作ったダンス展の図録を読んでいた。色々な方の文章から様々な言葉が響き、メモを取りながら読んでいたけれど、田中泯さんのインタビューの最後にこんな言葉があった。
「踊りの事を考えていれば人間の事がわかる。人類のことがわかると思い始めている」と。
私は母のもとで沢山の人の沢山の身体の変化を見せてもらう事で、踊りの事を考える上で大きなヒントを頂いている気がする。
私はまだまだ未熟で、田中泯さんの様に言えるまでにはまだ何十年もの月日と経験が必要だと思うけれど、今、母の活動を通して色々な人に会わせて頂いている事や、息子の親になった事で踊りの事をより深く考えるヒントを頂けているな。とつくづく感じた。
今は踊る事ではなく、踊りの事を考える時期なのだと思えて来た。
実は、今年ダンスでやりたい事があった。けれど、その新しい試みは今まで自分がやって来た試みよりも規模が大きな事。あるサポートが無ければ実現出来ない事だったのだけれど、今年は無理だという事が分かった。しかし、来年であれば可能だと思うと・・・・。
それを知ったときはがっかりしたけれど、今思えば来年になれば息子も幼稚園に行き始め、自分の時間が持てる。幼稚園に行くまでは、子育てを第一に考えたいと思っている私にとっては、やはり思い切り出来るのは来年であろう。
やりたい事はあるけれど、やはり今は焦らずに自分の中身を磨く時なのだ。と改めて思う事ができた。
おばあちゃん、そして旦那さんの作った図録、そして田中泯さんの言葉、
沢山の気付きをありがとう。
