2014年

??-10新しい年が始まった。

思い返すと、2013年は初めてだらけの一年間だった。

自分のダンスの仕事が目的ではないヨーロッパ生活に、気持ちの持ち方が上手く行かずになかなか苦しんだ事もあった。でも、誰かの為に出来る事があるという事はとても幸せなのだという事にも気づかせてもらった。

それでも、やっぱり私はダンスが好きで、ダンスを踊ったりダンスを創ったりする事はずっとずっと続けていないと私は駄目になっちゃうな〜という事にも気づかせてもらった。

それも、フランスでの旦那さんとの生活が大きく影響していると思う。沢山公演も見に行ったし、沢山意見も交換したし、沢山言い合いもしたけれど、大事な事を得る事が出来た本当に充実していた時間だったと思う。

自分にとってダンスの大切さに改めて気づいた時、息子を授かった。ずっと子供が欲しいと夢見ていたけれど、やっぱり自分がいい状態になった時に、きちんとやって来てくれるものなのだとビックリした。

まるでお腹の赤ちゃんにもダンスは続けなきゃだめなんだよ!と言われている様な気すらした。

長かったようで短かった十月十日。だんだん大きくなっていく自分のお腹に出産への不安と赤ちゃんに会える嬉しさと入り交じって不思議な期間だったな〜と思い出される。

そして、予想外の難産を乗り越えて息子に出会えたときの感動は2013年で一番の出来事!!

想像を遥かに超えた痛さでありました・・・。

2014年は初めて息子と迎える年。

この一年は、育児を通して色々な事を学ばせてもらえるだろう。

日に日に大きくなって、日々違う表情を見せてくれる息子。

この今しかない瞬間を大切にしていきたいものです。

おっぱいあげて、おむつ変えて・・・ 今はこの繰り返しだけれども、ほんの少ししかないこの時間を沢山楽しんで、良い時間にしていきたい。

そして、自分に出来るダンスを、自分がやりたいダンスを改めて考えて、実行出来たら尚良い。

焦らず自然に、今の自分に出来る事を精一杯頑張りたいと思います。

2014年、皆様にとって素敵な一年になります様に・・・・

今年もどうぞ宜しくお願い致します。

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身体について

?? 1出産を通して、改めて身体の事を考えるきっかけとなった。

数年前から母が勉強してくれた官足法を実施している自分は、出産も恐らく安産になるであろうと思い込んでいたけれど、その想いとはうらはらに難産になった事で、改めて見直した事がたくさんある。

やはり身体というものは正しく使い、正しくメンテナンスしてあげなければいけないという事を痛感。これから出産する方、それから出産後の身体のメンテナンスなど、自分の経験を通して広めて行けたらとつくづく思う。

まず、私がどうして難産になってしまったのか。それは恐らく、幼少期の間違えたバレエを習ってしまった事が原因の一つになっている思う。間違えた方法で身体を使ってしまった私は、真っすぐだった足は完全にO脚になってしまい、背骨まで曲がってしまった。中2でバレエ教室を変え、今バレエを始めたと思ってくださいと先生に言われ、遅れを取り戻そうと必死で練習した結果、足を痛めて二度の手術。相当の負担が足にかかってしまったのであろう。

バレエやコンテンポラリーダンスでもそうだけれど、身体を分かり正しく使えていなければ、身体にかかる負担は大きなものになる。母が官足法を始めてくれてから、怪我や体調不良は驚く程改善されたけれど、若い頃にかけた負担は私の身体に何かしらの形で残ってしまったのだなと思う。

緊急に帝王切開になってしまった一つの理由に、尾骨が内側にカーブしていて、赤ちゃんの頭がつかえてしまったと先生に言われたけれど、それも間違えたバレエが大きく関係していると思っている。

そしてもう一つ、筋肉(特に腹筋)が強いと出産の時に問題が起きるという事が結構あるらしいと叔母から話を聞く。

私の叔母も帝王切開で子供を二人産んだ。叔母はバスケットボール選手で、国体まででた経験の持ち主。

自然分娩の予定であったけれど、腹筋が強すぎて、イキむと自分の腹筋を使ってしまって上手く赤ちゃんが出て来れなくなってしまったらしい。その後病院の先生に、もし女の子が産まれたら、あまり激しい運動をさせない方がいいですよ。と言われたのだと話してくれた。

しかし、身体を使っていた為、産後の回復が早くてお医者さんにびっくりされたのだとか。

私も、出来れば自然分娩で産みたかったけれど、今は相当負担がかかっていた身体であったのにも関わらず、子供を授かれた事だけでも幸運だったと思う様になった。

そして、ずっと続けていた官足法のお陰で血液循環はとても良いようで、身体の回復は本当に早い。

そして、それはきちんと子供にも受け継がれているようで、黄疸が出ていても驚異的な数値の下がり方に病院の先生もびっくりしていたし、へその緒が取れるのも早くて、吸引で引っ張られた頭も形が整うまで数ヶ月かかるだろうと言われていたけれど、1ヶ月も過ぎていない今でも吸引したと言わなければ誰も気づかないまで整ってくれた。

そして、血液でできているという母乳の出もとても良い。変な話だけれど、母乳を飲ませていないと乳が張ってしまったり、母乳パットをつけていないと漏れてしまったりということが一切なくて、母乳が出ていないかと心配になってネットで検索してみた所、どうやらこれは差し乳というらしく、理想的なお乳なのだとか。溜めずに赤ちゃんがすい始めるとお乳を出すシステムなのだそうな。完全母乳だけれど、母乳を飲んだ後は3時間〜4時間ぐっすり寝てくれる息子。この差し乳になるには、血液の循環を良くする事が第一なのだそう。

出産後、今までにないくらい調子の良い自分の身体に、出産が一番の血液循環法だと言っていた母の言葉を思い出す。

お腹は切ってしまったけれど、どんなアクシデントに見舞われても、血液の循環さえ良くしておいてあげればどんな事も良い方向へ向かうのだと痛感。

これからも身体全体に綺麗な血を巡らせてあげれる様に、息子のメンテナンス、そして自分の身体をメンテナンスをしっかりしていきたいと改めて思うのでした。

人間の身体って、本当に素晴らしいシステムで出来ている。

自分の身体を良く知り、ケアを怠らず、この素晴らしいシステムを自分の味方にできるように、これからも日々精進です。

産まれる

やっとこさ色々な事が落ち着いて来たので、これからの人生で絶対に忘れる事の出来ない長男誕生の事を書き留めておこうと思う。

11月11日、夜からおしるしのようなものがあり、陣痛のようなお腹の痛さは時々やって来るものの、間隔があるのでそのまま眠りにつく。

11月12日、朝からお腹の痛さが15分間隔くらいでやって来て、産院に電話。

10分間隔になるまで家で待機してくださいとの事。お昼を食べて、10分間隔になったのはもう19時近く。

もう一度産院に電話すると、6〜7分間隔になるまで待てとの事で、更に待って夜22時過ぎについに6〜7分間隔に。産院に向かった。

その日は4人の出産があったとの事で、ついてから普通の部屋で少し待たされる。

出産を終えた先生が私の内診をすると、なんと破水していると!!!全く気づかなかった・・・。

そして破水しているから、もし今日中に産めなければ、促進剤を使って明日中には産まなければいけないという話をされて、陣痛の間隔が狭まって来る事を期待しながら、陣痛の痛みに耐えながら夜を過ごすも、陣痛が一度収まってしまって30分くらい間が空いたりしながら朝に・・・。

9時過ぎに促進剤を打ちはじめ、いきなり凄まじい陣痛が襲ってくる。痛いなんてもんじゃない。

どんどん陣痛の間隔が狭まり、耐えられずナースコールを押しまくってしまう。

いよいよ子宮口も全開という事で、先生もいらっしゃったけれど、どうやら頭がなかなか出てこないとの事。

会陰切開をしますと言われ、それでも駄目だと吸引をするという事に。

小さな吸引では駄目で大きな吸引にするもまた駄目。最終的には、陣痛が来た時に吸引するのと同時に3人の助産師さん達に上から、そして左右からお腹を思い切り押される。痛いし、苦しいし、本当に辛かった。

これで駄目なら、帝王切開になります。と言われ、最後の最後まで頑張ったけれど、緊急で帝王切開手術を受ける事に。その頃には、私の体力も限界に達していて、もの凄い震えにガタガタして、話をする事もままならない。

終わりの見えない辛さに、帝王切開になった事に少しホッとした自分がいた。

意識も朦朧としている中、手術が始まり、午後15時30分長男の元気な産声をやっと聞けたのでした。

その瞬間は、感動なんていう言葉ではすまないくらい、今まで感じた事のない気持ちで涙が溢れた。

赤ちゃんの声が聞こえた瞬間に聞こえた別の声。「うわ〜!大きい!!!これじゃ出ないわ」という先生の言葉。

私の狭い骨盤に対して赤ちゃんの頭が大きかったとのこと。それに加えて、私の尾骨が内側にカーブしていて、頭も引っかかってしまった様。そして、胎盤が上の方についていたのに対して、へその緒が短かったということも、出て来れなかった要因になったようで、色々な事が重なってしまったのでした。

壮絶な23時間での出産。

11月13日(水)15時30分、3580gの元気な男の子を無事に出産致しました。

大変な出産だったけれど、何よりも元気に産まれて来てくれただけで神様に感謝。

本当に、死ぬ気で産んだ子でございます。

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しかし、身体の戻りはなかなか早いようで、初産で帝王切開でもあるのに子宮の収縮が良かった様子。

翌朝、もの凄いお腹の痛さで目が覚めてナースコールを押し、薬を出してもらったら、子宮の収縮の痛みでしょうと言われ、助産師さんに珍しいと言われる。

手術後は足のむくみが酷く、倍くらいの大きさになってしまったけれど、それも一週間でほとんど無くなり、体重は既に7kg減った。

大切な大切な赤ちゃんには、瑛士(えいじ)という名前を付けた。

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11月13日、瑛士の誕生日には毎年この辛かった出産を思い出しては神様に感謝するのだろうと思う。

素晴らしい宝物をいただけた事、一生忘れません。

これから瑛士がすくすくと育っていけますように・・・。

あの出産の辛さに比べれば、この先何だって耐えられる気すらする。

けれど、一目息子の顔を見ただけで、辛かった事全て吹っ飛んでしまうから不思議。

本当に感謝の気持ちだけです。

これは、産院へ行く前に家でくつろぐ様子を旦那さんがビデオに収めてくれた模様。

こんなにお腹大きかったのか〜!とびっくり。

もうすっかり、お腹が大きかった時の記憶は無くなってしまっているから不思議です。

良い記念。

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着物

母方の祖母は、着物を自分で縫う人だった。

祖母は一昨年亡くなってしまったけれど、祖母から貰った着物が何着もうちにある。

亡くなる二年前には、押し入れを整理する様に色々な着物を見せてくれて、中には祖母が自分で織った反物で作った着物もあって、少し痛んでいたけれど貰って来て、沢山の祖母の手縫いの着物や羽織りがうちに置いてある。

母が元々持っていたものもあるから、かなりの数はあると思われる。

母はずっと、自分が大学を卒業する時に作ってもらったという訪問着を私にくれるという話をしていた。

赤ちゃんが産まれたら、お宮参りをする時にその着物を着たいと話していたのだけれど、昨日初めてその着物を目にした。

母が作ってもらった時には若草色だったらしいけれど、シミがついてしまって染め直したのだという。

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祖母は、絹の白地を選んでから色を染めて着物を作っていたらしい。

そして、この訪問着も祖母が縫ってくれたものだとか。

着物の事は私には良く分からないけれど、祖母のこだわりの品達は、母の着付けをしてくれた人が何とも着付けしやすいのだとお褒めの言葉を頂いたのだと話していた。

私が結婚式を挙げた時にも、母方の親戚の家にある白無垢と袴を借りた。

白無垢と袴が家にあるというのも驚きだけれど、こだわりの婚礼衣装を着れた事は一生の思い出。

白無垢の白があまりに真っ白で感動したものだった。当初、綿帽子ではなくて角隠しをしようと思っていたのだけど、角隠しに少しシミがついてしまっていて、結婚式場の角隠しを見せてもらった。

けれど、白の色合いが合うものが一つも見つけられず、結局綿帽子にしたのだった。

式場の貸衣装の角隠しと、親戚の白無垢の角隠しと、何かが違うのは着物素人の私でも一目で分かった。

旦那さんが着た袴も、話によると帯もとても珍しいものを使っているとか。同じ袴で結婚式をあげた従兄弟達は、着付けの人に驚かれたのだと言っていたし、旦那さんもそう言われたと言っていた。

やっぱり、祖母から色々な事を聞いて育った母のお姉さんだから、一生ものの買い物にはこだわったのかもしれないと思う。そして、あの白無垢の白を保っておくには、本当に行き届いた手入れが必要だよな・・と今つくづく思う。

そうして、丁寧に手入れしながら何年も何年もあの純白を保てる技術。日本の文化はやっぱり素晴らしい。

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もう一度、白無垢着たい。

一生に一度だから良いのでしょうけれど、重いし肩は痛くなるし大変だったけれど、本当に素晴らしい良い思い出です。

 

 

 

 

日本の素晴らしい文化に触れる機会があまり無いのは残念だけれど、これから子供を育てながら、着付けとか勉強して、お婆ちゃんがつくった着物を日常的に着て楽しめる様になれたらどんなに良いかな〜と思う。

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そして、時代を経てもちっとも変わらない着物の良さ。

母の着物を着れる日を、今から楽しみにしている。

その頃は、お腹のスイカも無くなって、スッキリしているはず。

着物、大好き。

物思いにふける

出産予定日まで1ヶ月をきった。

スイカを丸ごと入れた様なお腹。夜は苦しくて横にしか寝られない毎日だけれど、出産終ったら、まずうつ伏せに寝たいと妄想を広げている。

いつ、赤ちゃんが出て来てくれるのだろうと思いながら、何だか最近は物思いにふける事が多い。

時間が沢山あるからかもしれない。

昨日、ふと思い出して10年くらい前に毎日書いていた日記を読み返してみた。

ある友達からの24歳の誕生日プレゼントで貰ったノート。その頃の私はリスボンでダンスの仕事をしていたけれど、カンパニーでの仕事は自分の望んでいた様なものでは無くて、一番キツかった時期かな〜と今でも思い出す。

でも、素晴らしい友人に出会う事が出来たし、苦手なものを克服するチャンスはそこで得たし、何よりもとても良い人生の経験となったな〜と思い出す。

日記を見返してみると、毎日自分を一生懸命に励まし、今ある状況をどうにかポジティブにとらえようとして、何度も何度も両親や友人への支えへの感謝の言葉が出て来ていて、なんとか腐らない様に自分を持ち上げていたのだな。と関心してしまう。

でも、その努力はやっぱりどこかで必ず道を作ってくれて、自分がどうしても入りたい!とずっと願っていたカンパニーへは、とあるコネクションがつないでくれたし、コントラクトは貰えなかったけれど、アシスタントディレクターの人は私を一生懸命ディレクターに推してくれようとしてくれた事や、素晴らしいダンサー達を見ているその人が自分の事を良いダンサーだと言ってくれた事がどんなに自分にとっての自信になった事か・・。残念ながらカンパニー自体がなくなってしまって、その後チャンスは巡ってこなかったけれど、本当に素晴らしい経験となったのだった。

一番辛い時期に頑張る気力をくれた大きな出来事だったし、素敵なダンサーは人間的にも素敵な人ばかりだとつくづくそのカンパニーに触れる事で感じたものだった。

その頃、自分の働くカンパニーの施設に住んでいた私は、時間がある時には一人でスタジオにこもって、ひたすら苦手だったインプロを色々な音をかけて踊っていたものだった。そのお陰で、インプロをする事や、創作をするという事に興味がいく様になったし、何よりも目標としていた次の仕事もそれでGETしたようなものだし、やっぱりあの苦い思い出の期間は、そうすてたもんじゃないとつくづく思う。

なぜ、今一番大変だと感じていた時期を振り返っているのかは分からないけれど、これから子供が産まれ、大きくなって子供が何かに煮詰まった時、この話をしてあげたいな。と思ったりしている。

10年たっても、日記に書いてある自分の字を見ると、鮮明にその時の気持ちが蘇って来るようで不思議だった。

今は毎日日記はつけていないけれど、その分心に余裕がある様な気はしている。

ノートに日記を書き留めるという事で、後にも残るそのノートにネガティブな事は書かない様に自分でしていたのだと思う。そうしていないと、もしかしたら心まで折れてしまっていたかもしれない。

時々出てきていた「日本に帰りたいな。」「日本の友達と話したいな。」「家族に会いたいな。」

でも、その後には必ず、「でも、今は自分の目標を手に入れられる様にココで頑張るんだ!」と自分を励ますその言葉はなかなかカッコ良く、今若かりし頃のあの気合いを感じれた事はとても刺激になった。

10年も前と考えると、長いようであっという間!!

これから、自分も自分の子供もどんな人生を歩んでいくのかな。でも、いつでも10年前のあの時の様な気持ちは大事にもっていたいな・・・と思うのでした。

 

甥っ子達を連れて行った自然の中のアスレチック。??-1

これからが楽しみな子供達!!子供は未来の宝です!!!!