The Show Must Go On

3連休で、出産前最後になるであろう上京。

一応九ヶ月に入っている為、病院の先生に聞いて、お腹が張ったら直ぐ休む事を注意され、念のためのお腹の張り止めの薬も貰って上京。

しかし、無事にお薬にはお世話にならず、お腹も張らずに行って来る事ができました。

2つのダンス公演を鑑賞して、締めくくりに二年前に知り合った「The Show Must Go On」の出演者の会に参加する。

公演を見ると、色々な事を考えるチャンスを貰えてとても刺激になる。どうしてその作品を創るのか、そしてどうしてそれを人に見せるのか・・・・。

自分がものを創る時の気持ちを思い出しながら、見た作品で感じた事をまた自分の中で消化させる作業はとても楽しい。

作品を創るという事に大きな衝撃を与えてくれたのが、まさにJerome Bel振付けの「The Show Must Go On」への参加であった。

あんなに腑に落ちた作品に今まで参加した事がなかった。

私の中にいつもあった興味は観客との関係。

それをあれほどまでも明確に見事に大劇場での作品にしたJerome Belには、本当にダンス人生を覆された感じであった。

身体を動かして、踊りを踊るというシーンはほとんど無かったものの、あんなに舞台に立つ事が難しいと感じた事は今まで無かったかもしれない。自分が舞台に立つという事や、観客に何を見せるのか、観客をどう楽しませるのか、そして劇場という空間の中で観客と演者がどんな事を共有するのか、本当に色々な事が考え尽くされた作品に参加出来た事で、本当に勉強になったし、何よりも素晴らしい仲間達に出会えた事が本当に幸せな事だった。

今でも、あの充実した二週間は宝物の時間。

そんな素晴らしい時を共に過ごした仲間達とは年に何度か集まる事があり、その時間は必ず楽しくて素敵な時間になる。

今回は、日本を離れる2人の送別会。

皆それぞれ、それぞれの道で頑張っていて、それも大きな刺激になるものです。

でも、またね!!!と皆笑って言い合える関係というのはとても素敵。

そして、同じ場所で出会った旦那さんとの間に授かった新しい命の事も、皆とても喜んでくださって、嬉しかった。

こんな風に年に何回かでも、いつまでも皆で集まってワイワイ出来たら良いな〜♪と心から思う。

何より、素晴らしい作品を通して出会えたこのご縁に改めて感謝!!

また、赤ちゃん産まれたら皆に報告しなければ。

The Show Must Go On!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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お伊勢参り

母と二人で、お伊勢参り旅行へ出かけた。

一泊二日の短い旅行だけれど、とても素敵な思い出となる。

母にとっては40年ぶりのお伊勢さん。静岡出身の母は陸上選手として頑張っていた頃、東海大会の試合で宇治山田に来ていたらしい。お伊勢さんもその時に行った事があるのだとか。

伊勢神宮は、3連休の初日という事もあって激混み。でも、あんなに人がいるのになぜか嫌な感じが全然しない。

やっぱり、何か違う空気が流れている気がした。お腹も大きいから歩くのもなかなか大変だったけれど、お腹が張って来る事も無く、無事に全部お参りする事が出来た。

20年に一度建て替えられるお宮さんのBefore, After が見る事が出来た事で色々考えさせられる。??-220年という歳月でこんなにも変わるのだな。壊されたお宮さんの木々は、表面を削られてまた違うものになって使われるのだそうな。

柱は鳥居に使われたりするのだと。

木にとって20年の歳月は表面は大分変わるけれど、どうってことの無い歳月のよう。

この20年サイクルの建替えが千年以上も続き、その費用は全て寄付からなっているのだと言うのだから、凄い事だな〜と思う。

でも、何と言ってもあの外宮、内宮のなかの空気の違いには本当に感動だった。大変だったけど、行けて本当によかった。

??-3

20年後には、お腹の赤ちゃんも二十歳か・・と思うと不思議なものです。

 

 

 

 

 

 

 

もう一つ、伊勢神宮で印象深かった事。

それはお馬さんとの出会い。外宮の出口にいたお馬さんが不思議だった。

このお馬さんの目が、愛犬ネロとそっくりで可愛くて、少しお話かけてみた。私は結構、動物には好かれる傾向があって、人に懐かないという猫ちゃんが珍しく寄ってくるという事があったりした事は今まである。

私と母がお馬さんの前に行くと、それまで静かに動かなかったお馬さんが、じ〜〜〜っとこちらを見てしっぽをフリフリ。

??-1ネロみたい!!と目を見ながらお話かけると、またしっぽフリフリ。内宮に行かないといけないから、そろそろ行くね!と行ってバイバイすると、そわそわして、目の前からいなくなると人がいる方からそっぽ向いてしまった。

偶然かもしれないけど、何か少し会話が出来た様な嬉しい気持ちになった。あまり可愛い目をしていたので写真をとったのだけど、写真のお馬さんの目がきらりと光っていて、またなんだか嬉しくなった。

この後、内宮へ向うタクシーの中で、陽気なおじさんが色々な話を聞かせてくれたのだけど、どうやらこのお馬さんは栃木の牧場から来たお馬さんなのだとか。栃木からはるばる来たんじゃ、お馬さんも喜んでいたでしょ!?というタクシーのおじさんに、本当にそんな風に見えましたよ!と嬉しくなったのでした。

このお馬さんの名前は笑智号。笑う、そして越智(私の嫁いだ名字)の智。未来は明るいのでは!と、ポジティブな気持ちに。

お馬さん、ありがとう。

お参り後、鳥羽のお宿に滞在する為に移動。

鳥羽駅から更に30分くらいかかる海沿いのお宿を予約したので、駅から宿までの送迎バスを予約していた。

バスの出発時間ギリギリに到着する事になりそうだったので、宿にその旨を連絡すると、バスの時間が変更になって、私達は確実にバスに乗れない事が分かる。予約した人には電話で連絡がいっているはずだというけれど、連絡貰ってない。

宿側の手違いで、私達にだけ連絡が来なかったらしい。なんだよ!!?と思いつつも、疲れているからタクシーで宿に向う。

でも、その事がなかなか素敵な出来事に巡り会わせてくれる事に・・。

ちょっと不機嫌になっていた所、このタクシーの運転手さんが色々な話を聞かせてくれた。私達が泊るお宿の近くには石神様と呼ばれている女の人の願いを必ず一つ叶えてくれる神社があるとの事。

マラソンの野口みずき選手は、オリンピックで金メダルと取る前に石神様を参ったらしいし、山田花子は石神様を参った後に結婚・出産。オセロの松島も石神様を参ったあとに結婚、出産したらしい。

海女業が盛んな鳥羽では、命の危険と常に隣り合わせの海女さん達が、魔除けとして石神様をお参りする事が習慣だったらしい。だから女の人の願いだけをを叶えてくれる神様なのだとか。

その日は遅くなってしまったので、翌朝にお参りしようと母と約束し、お宿へ。

すると、宿のミスでバスに乗れなかったので、サービスとして予約制の貸し切り露天風呂に優先的に入れてくれた。

??-5その露天風呂からの眺めは最高!!

この時間でなかったら、夜の12時か翌朝早朝しか入れなかった様子。

夜では何も見えないし、朝は台風の影響で雨が降る予報だったので、とてもラッキーなタイミングで素晴らしいお風呂の時間を頂いた。

お風呂の後の美味しい食事を頂いて、就寝。

 

 

 

翌朝、台風の影響で海も荒れていたので石神さんにはいけないかと思われたけど、朝食を食べ終わるとまさかの晴れ!

海沿いを散歩しながら石神様にもいく事が出来た。到着してみると、まだ9時前だというのに駐車場は満車。

??-6凄い数の人が既にお参りをしていた。

小さい神社の中には人が一杯!!!最近パワースポットだと話題になっているらしいので、全国からここをめがけて来てる人が沢山いたみたい。

自分たちの分、そして帰りに名古屋で再会する中・高時代の親友にもお守りを手に入れて神社を後にする。

沢山の芸能人の方の「お陰様で結婚できました」の色紙。

ひょんな事からこの神社の事を知ったけれど、母との女二人旅で女性の願いを叶えてくれる神社に出会えた事も、不思議な偶然でありました。

宿の人が電話を忘れなければ、タクシーを使う事も無かったし、宿の人は石神様の事一言も言わないし、タクシーの運転手さんは、メーターをとめてから宿に向う前に石神様までタクシーを走らせて案内してくれたので、翌朝も迷わずスムースにたどり着く事が出来たし、本当に不思議な偶然だな〜と思う。

 

 

??-7宿から鳥羽駅へバスで送ってもらい、鳥羽駅近くの海女さんがやっている小さな食堂で新鮮な伊勢エビやアワビなどを焼いて頂く。アワビのきもは赤ちゃんの目を綺麗にするのだと聞き、苦手なきもを食べるも、新鮮だからか美味しくてびっくり。

伊勢エビの頭はお味噌汁にしてもらって、美味しいお昼を頂いた。

その後、赤福の支店で母は赤福氷、私はノーマル赤福を食らう。

赤福の美味しさには感激。

そして名古屋へ向うのでした。

 

 

 

 

名古屋では親友に再会し、名古屋城を眺めながら素敵なティータイムといっしょに素敵なお話を沢山する事ができた。

石神様のお守りと、赤福を渡して、新幹線で栃木へ・・・・。

次の日、私達の利用していた新幹線の区間は見事に運転見合わせ。一日ズレていたら大変な事だったな〜と思う。

一粒の雨にも降られなかった伊勢旅行も奇跡的であった。

母と一緒に行けたお伊勢参り、素敵な事に沢山出会えた旅行でございました。

 

 

 

思い出した気持ち

先日、偶然にも4・5年前にした数分のダンスパフォーマンスを見ていたという方にお会いして、私の踊りを鮮明に覚えてくださっていて、本当に嬉しかった。

自分の知らない所で、誰かが自分の存在を忘れないでいてくれた事が嬉しくてたまらなかった。

そんな嬉しい出来事を通して昔の事を思い出す事で、日本に帰ってくるきっかけとなった出来事を思い出したのでした。

あれは、2007年だったか・・・。私はとある作品にダンサーとして参加した。

クリエーションの段階で、面白い偶然でデュエットの様なものが出来上がった男性ダンサーと共にメインキャストに選んで頂いて、ダンス作品の他に、ショートムービーにも参加させて頂いて、色々な経験をさせて頂いた作品。

ポルトガルの第二の都市、ポルトにある歴史ある劇場Theatro National Sao Joaoで踊る事が出来て、シルエットではあるけれどポスターにもして頂いて、ポルトの街中や地下鉄の中などに張られたポスターを見る度に嬉しかったものでした。

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CIMG5331でも一番嬉しく印象に残っている事は、街の人たちの反応。

全公演が終わり、違う劇場での違う作品にも出演していた私は公演後も街に残り、地下鉄で行われた同僚達の別のパフォーマンスなどを見に行ったりしていた。

公演の内容が、ショートムービーから始まり(私と男性ダンサー出演)ダンス作品という形だったからか、私はアジア人だからすぐ分かるというのもあるかもしれないけれど、同僚達のパフォーマンスを見ていると、みるみるうちに人に囲まれたのだった。

この前のダンスを見た。あなたのダンスが好きだった。あなたが男性を見る時の目が印象的だった。あなたはナニ人?どこから来たの?いつまでここにいるの?またあなたのダンスが見たい。などなど、様々な声を掛けて頂いた。

声を掛けてくださった方達はマダムが多かったけれど、ダンス関係者という訳ではなく、ポルトに住む奥様方という感じ。あぁ、こんなに沢山の方がダンスに興味を持って見に来てくれていたんだな〜と改めて思ったのだった。

勿論、それまでにいくつもの公演をヨーロッパでしたけれど、こんなに反応が返って来たのはその時が初めてだった。

その後も、街を歩いていると、わざわざお店から出て来てまでして話しかけてくれた方もいたりした。

インターネットカフェの中から出て来て、あなたの踊り見たわよ!いつまでもここにいて欲しいわ。また踊りを見せて。と言ってくれたのを今でも良く覚えている。

あぁ、これが自分の国・日本で、自分の故郷で出来たらどんなに幸せな事だろう・・・と強く思った。

ポルトの人たちが喜んでくれた事、それを伝えてくれた事で、自分は本当に自分の踊りを見せたい人に見せられているだろうか・・と考えたのだった。

本当は、そう思った直ぐ後に日本に帰ろうと思っていたのだけれど、ずっと一緒に働いてみたかった振付家との仕事が決まって、それも挑戦してみたかったから、帰国を遅らせたのだった。

でもその時点で自分の興味はお客さんとの関係という所にあって、最後にした仕事はツアーもあって、同じ作品を何度も踊る機会が多い中、自分のしている事に大きく疑問を持つ様になっていた。

ポルトの作品の何倍もの公演数があったにも関わらず、お客さんとの接点はほとんどなかったのだった。

ポルトでの作品に対するお客さん達の反応が、私の本当にやりたい事に気づかせてくれた大きな機会になった事は確か。

それから日本に帰って来て、まずは地元を拠点にダンスを発表したいと思い、そしてダンスを見るのが初めての人でも同じ時間、空間をどうしたら共有出来るだろう・・と考えてパフォーマンスを企画したのだった。

でも、いつの間にか初心を忘れてしまっていた所があったかもしれないな〜と、先日偶然お会い出来た方のお陰で気づく事が出来た気がする。

これからまたダンスを創って行く為にも、改めて思い出せて良かった。

余談だけど、ポルトのTheatro National Sao Joaoは私の人生も大きく動かしたと言っても過言ではない。

なぜなら、旦那さんとお話するきっかけになったのもTheatro National Sao Joaoだから・・・。

とある振付家のレクチャーでインタビュアーをしていた旦那さん。世界中で公演されている作品の中から、その日旦那さんが選んで見せた映像の一つがTheatro National Sao Joaoで行われた公演だった。

あーー!思い出のSao Joao!!!と興奮したのでした。こんな偶然が不思議な縁へと繋がった。

人生何が起こるか分からないものだけれど、意外と繋がっているものだな〜と思います。

思い出の大切な気持ちを大切に、これからも頑張ろう。

 

 

仏事

私の実家は、祖父も長男では無かったため家に仏壇が無かった。それゆえに、仏事について良く知らなかった事は多い。

母方の実家は本家なので、お盆になれば大体祖父母に会いに行ってはお線香を立てたけれど、中学・高校になるとなかなか行けなくなってしまって、まして高校卒業して留学した私は日本の仏事からは遠くに居た。

その反動か、外国生活があったからか、あるきっかけで仏事(というか仏教)に興味を持ち始めた。

仏教の教えに深く感銘を受けたし、日本人に産まれて良かったな〜と改めて思ったりした。

ある時、テレビで素晴らしい書を書くアーティストが特集されていて、あまりの感動に涙した事があった。彼女はダウン症で、書道の先生をしていたお母さんからお習字を習っていたのだけれど、お母さんは彼女にまず、般若心経を教えたのだという。最初は真っすぐも書けず、字の大きさもバラバラだったものが、数年後には見違える上達ぶりで、更に大きな半紙に大筆で勢い良く書く彼女の書が本当に素晴らしくて、ずっとずっと心に残っていた。

ある時、突然書道をやりたいと思い立った事があった。

その時にまず思い出したのが、テレビで見た彼女の事。そうだ、般若心経を書こう!と思い、般若心経を書く事を始めた。

始めた当初は、意味も全く分からずに書いていたけれど、何回か書くうちに意味が知りたくなり、意味を調べると更に納得で、般若心経を書いている集中の時間はとても心地よいものであった。

その時書き溜めた般若心経をどうしたらいいのか分からないまま、とりあえず大事に部屋の引き出しにしまって、私はその後結婚し、フランスへ移り住んだ。

日本に帰って来て、ずっと足もみとボディケアを施術していた患者さんと再会した。

その方とは、以前より本の趣味とか、感じる所が似ている所があったのだけど、久しぶりに再会したその日に、実は最近写経を始めたのだと話してくれた。そのお寺さんが、今住んでいる実家から近い事もあり、そして、嫁ぎ先・実家の宗派と同じお寺さんだったという事もあって、一緒に行ってみる事になった。

月に一回、護摩供養と写経をしているそのお寺さん。一度参加してみたら、目から鱗の話ばかりで、誘ってくれた患者さんに感謝の気持ちで一杯。

写経の字は、書いたらお寺さんに奉納し、絶対に捨てたりしたらいけないらしい。一生懸命書いた字をどうしても捨てる事は出来ずに大事にしまってあった般若心経。

願い事を書いて、持って来てください。大事に置いておきますから。と言って頂いていたので、今日、今まで書き溜めた13回分の写経をお寺さんに預けた。

さりげなく始めた般若心経だけれども、これは私の単なる勘違いか、ただの偶然かもしれないけれど、般若心経を書き始める様になってから、物事がとても自然な形で上手くいく様になっている気がする。

初めて書いた日は、東北大震災の2日後だった。それからしばらく間が空いて、2011年9月には2・3日おきに書いていた。

沖縄の大好きなお友達に会いに行き、毎日海で泳いで帰って来てから直ぐ、般若心経をまた書き始めたのだった。

その後、10月にある方のお誘いで、七面山という山に登った。そこは、お坊さん達が修行する山らしく、絶対に徒歩でしか登れない山。その山の頂上からは、富士山から出てくるご来光が見える。皆様々な思いを持って登るらしいけれど、毎年登っているという知人から「登ると良い事があるよ」の言葉につられ、登ってみたのだった。山頂の天気は安定しないもので、ご来光は全く見えない事もあるらしいけれど、私が登った日のご来光はなんと、七年ぶりの快晴という貴重なご来光だった。90歳になる何十回も七面山を登っているおばあさんは、今までこんなに綺麗なご来光を見た事はないとおっしゃっていた。

その後、私は素敵なダンスのお仕事をさせて頂く。そしてそこで旦那さんに出会う。

そして、結婚し結婚式の寸前に父が倒れ、即死してしまってもおかしく無い状況を覆し、結婚式にも参列出来て、式当日も80%雨の確立を覆しての快晴。

そんな話をお寺の住職さんにしたら、父の事は「お父さんは今までして来た良い事のポイントをその時使ったのですね」とおっしゃっていた。なるほど・・と思った。

般若心経は、そのポイントを溜める為にできる一つの事でもあるらしい。

今日納めた13回分の写経。一度にこれだけ書く事は出来ないけれど、今、過去に書いた13回分のポイント使わせてもらっている様な気持ちがして来た。

せっかく知る事の出来た日本の素晴らしい事。

これからも、出来る時には続けて行きたいと思います!!!

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再会

これから赤ちゃんが産まれれば、そうは簡単に色々な所に行けないだろうと両親と愛犬を連れて素敵なお宿に一泊した。

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一日一組限定のお宿からは素晴らしい日の出が見えて、感動。

素敵な事が始まるかのような、綺麗な日の出。

良い思い出です。

そして、旅から帰ると嬉しい再会が待っていた。

ヨーロッパから日本に帰って来て、日本で活動して行こうとしていた時に出会い、一緒にダンス作品を作った仲間との再会。

日本とヨーロッパでは色々な勝手が違う中、彼と一緒に作品を作れた事は本当に心強く、何よりもああでない、こうでもないと言いながら一緒に汗を流したあの日々は本当に充実していたものでした。

やっぱり作品を創るのが好きだと再確認出来たし、人に見てもらうという緊張感はたまらないものだったなぁ。と、本当に良い時間だった事を思い出す。

今大活躍中のその仲間は私生活も充実している様子で、そっくりな遺伝子を受け継いだ子供のあまりの可愛さにメロメロになってしまったのでした。

そして、とても嬉しい事を聞かせてもらった。

数年前、私達は自分達の創った作品をとある場所で発表した。

その時見に来てくれたある方は、私の踊りを今でも良く覚えていてくださっているらしく、何年もたった今でも私の事を思い出してくれているそうな。

そうして、誰かの心の中に残ってくれていることが本当に嬉しくて嬉しくて、子供を産んでも絶対にダンスは創っていこう。踊ろう。とまた改めて思ったのでした。

彼との作品創りの後、私はダンスの事、人生について色々悩んで、少しダンスから離れる時間を取った。

今考えれば、その時にはその時間が必要だったのだろうけれど、そんな悶々としている時に「The show must go on」出演の話を頂いた。その出演が、自分にまたダンスを戻してくれた出来事といっても過言ではない。そうして、もう一度ダンスに情熱が向いたとき、旦那さんにも出会った。旦那さんと出会って、結婚して、フランスへ渡って、沢山のダンス作品を見て、沢山ダンスの話をして、沢山人生の話もした・・・。

フランスでの生活は、前のヨーロッパ生活の様に自分が毎日踊っているという生活ではなかったけれど、確実に得たものが沢山あった期間。

子供を授かり日本に帰って来て、初めての経験を通しながらも、仲間との再会でまたダンスの事がもっと具体的になって私の元に戻って来てくれた気がする。

色々な瞬間を通り過ぎながら、確実に自分も周りも変化していて、でもその瞬間瞬間で、出会わなければいけない人には必ず出会う様になっている気がする。

なぜだか分からないけれど、数年ぶりの再会は私の中のダンス魂をまた揺さぶってくれました。

きっとまた踊ろう。そして、誰かの記憶に残る様なダンス創ろう。そう決心しました。

仲間との再会を締めくくったのは、なかなかのハプニング。

車のタイヤが田んぼに落ちてしまうというアクシデント(栃木らしい・・。)に見舞われたにも関わらず、私は感動をもらう。

なぜならば、まったく見ず知らずの方達が本当に一生懸命に、車を田んぼから出せるように手伝ってくれたのでした。

田んぼでズボンがぐちゃぐちゃになってしまったおじさんもいれば、家族総出で助けてくれた人も。

世の中って、すてたもんじゃないな・・と心から思った。

出会いは一期一会。

そして、そんな風に物思いにふけりながら、ふとカレンダーに目をやると、その日のカレンダーの一言はまさにそれでした。写真

人との出会い、場所との出会い、出来事との出会い。一期一会を大切に、これからも過ごしていきたいと思います。

素敵な仲間との再会に感謝です。

ありがとう・・