一年の集大成

IMG_7037先日、息子の通う幼稚園で「ひなまつり会」という生活発表会があった。

年少さんはお雛様に変身し、歌と合奏を。年中さん・年長さんは劇を披露する。

今通う幼稚園の説明会に行った時、幼稚園の理念に強く惹かれて「ここに行かせたい!」と思ったけれど、一年の集大成を見て、この幼稚園とご縁があった事をまた嬉しく思った。

子供達の一生懸命な姿には本当に感動し、涙を抑えるのが大変だったけれど、この1年での成長ぶりは本当に大きなもので、幼稚園での生活が充実したものだったのだな・・と思うとまた感慨深かった。

1年の中で、今回のひなまつり会を含めると3回大きなイベントがあった。

運動会のダンスは練習では一度も踊らなかったという息子。「本番にはやるの」という言葉通り、本番にはしっかりと踊っていた。

クリスマス会の演劇では、やはり練習ではやらなかった息子。担任の先生も「えいちゃんは本番にはやると思うので!」と言われてから、少しづつ練習も参加する様になったと先生から聞き、本番は小さい声ではあったけれど、しっかりライオンさんを演じていた。

今回のクリスマス会では、家で歌を歌ってくれたり、練習の様子を聞かせてくれて、先生からは「歌の中の振付けでえいちゃんがかんがえてくれた動きがあります」と伝えて下さって、あぁ、しっかり練習も参加しているのだな。と嬉しくなった。

本番はニコニコ笑顔で、大きな声で歌を歌い、大きな身振りで動きをつけ、しっかりと演奏している姿に感動しっぱなしだった。

一年間の成長は、本当にめざましい。

今日、幼稚園から頂いたお手紙の中に、とても素敵な文章があった。

『自信=自分を信じる力は、お父さんやお母さん、先生や友達など周囲の人が信じてくれることで持つ事ができるものだと思います。それは、何でもうまく、失敗なく出来ることではなく、失敗しても、間違っても、またやり直して乗り越えていこうとする力だと思っています。

1つの舞台で、最高の力が発揮できる時も、十分な力が出せないでいるときも、ハプニングが起きた時も、クラスの友だちと先生が共にその時できる事をして支え合いやり遂げていくことで、「きっと、できる」と信じる事。それが何より大事な保育者からのメッセージです。

一回一回の取り組みを追ってみると、昨日より今日、朝よりも午後というように、毎回確実に上達変化があるのです。自分の判断で最初の一言を言い出す勇気が持てたとき、飛躍があり自信が高まります。

あのような大舞台で、すっかり台詞を忘れてしまう瞬間もあるでしょう。緊張で頭が真っ白になってしまった時、友達がぎゅっと手を握ってくれたり、ぽんぽんと肩を叩いて合図をしてくれたりして支え合う姿、待つ姿に子供達の温かい心が伝わって来ました。

この「ひなまつり会」で、また当日に向かう日々の活動の中で、「自分を信じること」「友達を信じること」が体験できるよう、心がけてきました。』

息子は幼稚園に行き始めてから、失敗する事を恐れている様な所があった。

「本当はやりたいけど、やれなかった。」と聞くと、「やってみてごらん。やってみて、どうしても嫌だったらやらなくていいから。やってみないと分からないでしょ?」といつも言っていたな。と思い出す。

このお手紙を読んで、今まではやりたくてもなかなか行動できなかった息子が、きっと自分の判断で勇気をもって「こんな動きはどぉ?」と発言したのかな!?!?と思うと、その成長に泣ける。

そして、それだけ先生の事、クラスのお友達が信じる事のできる存在になっていて、自分の事も信じられる「自信」がついたのかな!と思った。

1つの事を一緒に成し遂げると、その絆はぐっと強くなる。

そして、そんな事を通してヨーロッパでのダンサー生活の事をふと思い出す。

公演の幕が開く前に円陣を組み、皆それぞれの足を踏み合って「Break your leg!! Toi Toi Toi」とおまじないを唱える瞬間にはいつも胸が熱くなったものだった。

何度舞台に立っても、あの幕が開く前の気持ちを1つにする瞬間と、幕が閉じた後の互いに敬意をはらう瞬間が大好きだった。

息子の成長を通して、忘れかけていたあの素晴らしい瞬間を思い出させてもらった。

子供から気付かせてもらう事は本当に沢山。

ありがとう。

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    炎上

    IMG_6906今、のぶみさんの「あたし、お母さんだから」という歌の歌詞に批判が集まっているらしい。

    ある雑誌で、のぶみさんの書いた「神様」についての短い漫画がとても腑に落ちる様な表現で好きだったけれど、その後子供の絵本を書いていると知り、図書館で絵本を読んでみたけれど、私個人的には息子に読みたいとは思わなかったので、自分で留めておいた事はまだ新しい記憶。

    歌の歌詞を見て共感する部分も勿論あったけれど、なかなかモヤモヤが残った。

    そんな中、米米CLUBの石井竜也さんのコメントにとても共感した。

    「母親っていう存在と女性っていう存在は違うんですよ。女を歌うんだったらことごとく女を歌ってあげればいい、母親を歌うんだったらことごとく母親を大事に歌う。その中間にいるからこれだけ責められるんですよ。それを一緒にしちゃだめなんですよ。だから、これはプロの歌詞じゃない」

    「公に出す人間ていうのは気を付けて書かないと。色んな立場の人が聞くから」

    同じような例として石井さんは、自身がクリスマスソングを作詞する時のことを例に上げ、

    「お父さんとお母さんと楽しいクリスマス、そんな子どもばっかりじゃないでしょう? お父さんがいない子もいるかもしれない、お父さんとお母さんどっちもいない子もいるかもしれない、クリスマスさえやってもらえない子もいるかもしれない。その時にクリスマスソングに『パパ』と『ママ』って入れてしまうと、クリスマスソングが平等なものじゃなくなっちゃう」

    歌にはパパやママ、プレゼントといった家族をイメージさせる言葉を入れず、「サンタクロースと君の話だよってする」といったのだそう。

    そのくらい、公に出す人間というのは気をつけないといけないと。

    自分が経験した事で、石井竜也さんの言っている事には大きく頷けた。

    本の出版が決まる前、連載をもっていたWebマガジンで記事が炎上しかけた。

    私はただ、母の官足法の施術を受けていた方に起こった事実を記しただけだったけれど、その記事を見た医療関係者やネット記者から色々な事を言われてしまった。

    そのWebマガジンは連載記事であったけれど、毎回Yahooニュースにも載せられていたもので、中にはその回しか読んでいない方もいた。

    2000文字という限られた文字数で全てを書く事は難しく、更には連載であった為に、前の記事を読んでいる前提で書いた2000字では、自分が全く意図していない受け取り方をされ、その事は大変ショッキングで、自分の書いたものを公に出すという事に怖さを覚えた。

    炎上しかけた時には、こんな風に勘違いされるくらいなら、もう公になんてしたくないし、官足法を広める前に自分が傷ついてしまう・・・と思った。

    炎上しかけ、Webマガジンの連載は即中止となり、紙媒体にしましょう!と本の出版が決まった。

    1冊の本にまとめられるのであれば、自分の伝えたい事をしっかり伝えられるかもしれない!!!と、未だに怖さはあるけれど、頂いたこのチャンスにかけてみる事にした。

    本当に、自分の作ったものを公に出すという事には責任があると思う。

    それはダンス作品であっても、文章であっても、歌詞やアート作品であっても同じ事だと思うけれど、私は今回の自分のWebマガジンでの騒動で、自分が表現したい事だけを表現するという事と、その作品を発表したその先の事まで責任を持つという事をまた考える機会となった。

    今回本を作るにあたって、Webマガジンでの経験はとても役に立った。

    なぜなら、〇〇という言い方をしたら、△△と思う人もいるかもしれないから、もう一文付け加えておこう。と考える様になった。

    どんなに小さな事でも、まず、自分の意図していない事を想像する人が居るかもしれない・・・と思う様になった。

    石井竜也さんの言っている「プロ」とは、そういう様々な人が聞くという事まで考えられる人なのだと思った。

    だからこそ、そういう「プロの言葉」には感動してしまうのだと思った。

    人には色々な感じ方がある。

    十人十色あっていい。

    けれど、やはりそれを「公にする」場合、気をつけないといけないのだと思う。

    そして、もう1つ少し気になる事。

    私自身、「おかあさんだから・・・」と我慢していた事も確かにあったけれど、本当にストレス溜まってイッパイイッパイになった時、旦那さんから「飲みにでも行って来たら?」と言われて、息子寝てるけど、夜起きる事もあるかもしれなかったけど、意を決して1人飲みに行ったら本当にスッキリして、逃げ場が出来て、今ではその1人飲みに行けるお店がある事は大きな大きな救いとなっている。

    時には息子が寝てる間に、旦那さんが家にいてくれれば1人カラオケにだって行く。

    そうして、自分はお母さんだから・・・と考えるより、「私だって人間だし。息抜きも必要」と自分に少し優しくなる様になった。

    そうしたら、育児も自分の時間もより楽しめる様になったし、息子がなかなか言う事を聞いてくれなかったりする時にも「この子も人間だし、そりゃ嫌な時もあるよな」と思える様にもなった。

    お母さんだって、楽しまなくっちゃ♪

    人生一回しか無い。

    一生懸命お母さんして、一生懸命自分も楽しんで、皆が笑っていられるのが一番良いじゃないか。

    と、お母さんだって楽しんでいいじゃないか!!!!ともの申したくなった。

     

    その楽しみが子供と過ごす時間の人だっている。時々の1人飲みだったり、一人カラオケだったり、踊る事だったり、お仕事だったりする人も居る。

    そのやり方はそれぞれあっても、皆それぞれ一生懸命がんばっているのだから!

    と、のぶみさん騒動で色々な事を考える機会となった。

      ジェローム・ベル「Gala」

      stage_71720ジェローム・ベルの「Gala」を観劇。

      ジェローム・ベルの作品「The Show Must Go On」に出演させて頂いてから早6年。

      ジェローム・ベルとの出会いは私の人生を大きく動かしたと言っても過言ではない。

      パリに住んでいた時にも作品を観に行ったけれど、彼の作品は、ダンスとか演劇とか、プロとかアマチュアとか、様々な垣根を越えて、人間とは??という事を説いている様な、人という存在を改めて見つめ直す機会を与えてくれる様な気がする。

      今回「Gala」を見て、とても素敵な時間を過ごさせて頂いた。

      たくさん笑ったし、時に涙が溢れそうな瞬間もあった。

      けれど、1つ感じた事は、ジェローム・ベル本人が来日していなかった事で作品の完成度が少し弱くなっていたのでは?という事。

      6年前、本番2日ぐらい前に初めてジェローム・ベル本人が出来上がった作品をチェックし、様々なフィートバックがあったけれど、やはり作品の作者が居るというだけで、作品への理解、向き合い方はガラリと変わる。

      今までやって来た事はなんだったのか!?と思う程に、作品中の1つ1つの在り方の理解が深まったものだった。

      そして、その数々のフィートバックから、どんな動作をするのであっても、観客の前でステージに立つという事がどういう事か、改めて考えさせられた機会であった。

      私にとって、ジェローム・ベルの作品は今までのダンス人生の中で、舞台に立つ事、舞台でやらなければならない事と作品とが一番腑に落ちた作品であった。

      そんな事を思い出しながら、「Gala」でみた事を振り返り、きっと舞台に上がっていたパフォーマーの皆さんも、ジェローム・ベルの案内のもとでこの作品を上演したかっただろうな・・・と思った。

      何より、やはりジェローム・ベルは凄い。

      私は本当に、彼の作品が好きだ。

      良い時間を過ごさせて頂いた。

      余談ではあるけれど、実は私と旦那さんの出会いは6年前の「The Show Must Go On」の公演。

      ジェローム・ベルがいなければ、息子はこの世には存在していないと言ってもいい。

      今日は久しぶりの再会もあり、とても嬉しい時間でありました。

      「Gala」について、旦那さんが書いています。

      http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/16312

      https://www.cinra.net/column/201712-jeromebel

        お参り

        IMG_6819とても久々のブログになりますが、2018年もどうぞ宜しくお願い致します。

        2018年、蠍座の人にとっては12年に一度のとても良い年になるらしく、それを信じてやみません。

        すでに、特別な年になるであろうという事は本の出版が決まった時から感じていた所。

        何よりも、母と自分の想いを一冊の本にして頂ける事は、本当に本当に幸せな事で、沢山の方のサポートのお陰様で、自分が思い描いていた事を全て形にしていただいて、こんなに幸せな事はありません。

        人のご縁というものは本当に不思議なもので、巡り会わなければいけない人とは巡り会うべき時に会える様になっているのだと感じる事は多々。

        今日、最後のゲラが出来上がり、用事の後、明治神宮へお参りに・・・・。

        明治神宮に到着する寸前、今回本を出版する運びとなったきっかけとなる編集者さんとの初めての出会いが明治神宮からすぐのスタジオだった事を思い出し、全てはそこから始まったのだな。と感慨深くなってしまった。

        結婚式を挙げたのも明治神宮。

        式を挙げたいと思っていた3ヶ月前、たまたまポンと用意されたかの様に空いていた式場と披露宴会場。

        その日でなかったら、父は結婚式に参列できなかったかもしれないタイミングで式を挙げられたご縁。

        息子の名前をつけるとき、明治神宮に命名をお願いし、8つぐらいあった名前の中で旦那さんと考えていたものと全く同じ漢字の名前が1つあって、息子の「瑛士」という名前はそれで決定したというご縁。

        思い返してみると、明治神宮という場所は私の人生においてとてもとても特別な場所になっています。

        今日、早足でだったけれど本のご報告をさせて頂きました。

        3月6日、出版社幻冬舎さんより本が出版されます。

        題名は、もしかしたらもしかしてまだ変わるかもしれないので、最終決定しましたらまた報告させて頂きます。

        様々な体験談、そして母の想い、私の想いを素晴らしい形にしていただきました。

        沢山の方に読んで頂けたら、そして1人でも多くの方が、自分の健康を自分で守ろう!という気持ちになって、身体に興味を持ってくれたら・・・と思います。

         

          お誕生日会

          IMG_6283今日、幼稚園での11月生まれのお誕生日会に招待された。

          舞台上に座り皆からお祝いしてもらい、会の後にはお茶室で園長先生やお茶の先生のお話を伺いながら、子供の成長した所などをお話する時間。

          息子を今通っている幼稚園に通わせたかった一番の魅力は、年中さんから茶道の授業があるという事だった。

          茶道の時間には制服を着て、白いソックスを履き、正座で授業を受ける。

          今年のお誕生会はお紅茶を頂いたけれど、来年はお抹茶を子供が運んでくれるらしい。

          そして、再来年には子供が私達にお茶をたててくれるのだそう。

          息子の通う幼稚園では、もう60年以上も茶道の授業を行っている。

          どうして茶道の授業を始める事になったのか、今日改めてお話してくださった。

          幼稚園が開校された頃、真新しいピアノを傷つけてしまった生徒がいたのだそうな。

          園児を怒ることは出来る。生徒がピアノを傷つけた事はいけない事。けれど、怒った所でその時だけの事になってしまう。

          その時、当時の園長先生が「どうしたら物を大切にする気持ち、人を大切に思う気持ちを養う事ができるだろう」と考え、茶道の作法というものは、「お先に頂戴致します」と隣の人を敬い、お菓子を取る一つの動きでさえもお箸の向きを次の人が取りやすい様に置いたり、一つ一つの道具を丁寧に扱う事をしたり、様々な所作を通して物を大切にする事、人を大切に思う心を育てるのではないだろうかと考えたのだそう。

          最初は園庭にゴザを敷いて始めた茶道の授業も、今では3代目の立派なお茶室で行っている。

          自分が外国で勝負しなければならなかった時、日本の文化をもっともっと勉強しておけば良かったと思った。

          けれど、中学校3年間の時に受けた茶道の授業は確実に自分の中に残っていて、ヨーロッパでの生活をする中で、より茶道の所作などを思い出しては、日本の文化の美しさを懐かしみ、もっともっと勉強したいと思ったのもだった。

          グローバル化している今の世の中、英語の教育に力を入れている所も沢山ある。

          勿論、それも素晴らしい事だと思うけれど、息子には自分の国のとても美しい文化に触れる機会を、幼稚園という様々な事を吸収する時期に体験させてあげたかった。

          そして、その恵まれた環境に、また改めて、この幼稚園で学ばせてもらって良かったと思った。

          子供のワークショップを考える時、子供を舐めては行けないと思っていたけれど、今日茶道の先生が同じ事をおっしゃっていた。

          子供だから出来ないとおもったら大間違い。子供はしっかり大人の背中を見ているのです。と、とても穏やかな口調で、美しい日本語でお話なさる先生に、とても感動した。

          これからも、楽しく沢山の事を吸収して欲しい。

          未来ある子供達に、良い物に触れられる機会を与えて行けたらいいな。

          先生達の劇も素敵でした。

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