私はわりと人の表情を読み取る事が得意だ。
きっとこの力は海外生活で培えたものだと思っている。まだ英語もろくに話せなかった頃、人の表情を読み取る事で内容をキャッチしていた部分がおおいにある。
英語が話せる様になってからも、ポルトガルで生活した事で、また新たに未知の言語を習得する上で、やぱり人の表情から何を言っているのか探ることは癖になった。
ポルトガル語は学校には全く通わなかったけれど、リスボンから日本に帰る前の頃にはブラジル人に間違われるくらい、仲の良かったブラジル人の友人達の影響を受け、ブラジルアクセントのポルトガル語はなかなか上達した。けれど、全然使っていないからもう出てこなくなってしまっているのはとても残念。
日本に帰って来てからというもの、人の目を見て表情を観察しながら話すという事が当たり前になっていた私は少し変な人だったようで、何人もの人に「すごく人の目を見て話すよね。」「じっと見られて恥ずかしくなる」と言われたものだった。
最近、官足法という療法を通して様々な方にお会いする機会があるけれど、足を見れば身体・心の状態が分かる様に、人は顔を(表情)を見る事でも沢山の事が分かってしまうな。と思う。
いつも笑顔で穏やかな人がある言葉を聞いた時に一瞬みせた鋭い表情だったり、いつも緊張した面持ちの方がある言葉を聞いたときに見せた頬の緩み方だったり、人は意外な一瞬に意外な表情を垣間みる事があったりするけれど、実はそのふとした一瞬の方が本当の姿だったりする事があるのではないかな。と思う。
そして、実はそんな些細な出来事で人は一瞬にして身体の血液が止まってしまったり、逆にそれをきっかけに血液を動き出す事が出来てしまうと思っている。
それは、息子と生活している中で気づかされた大きな事の一つ。
自分の顔は自分では見えないけれど、特に子供は親の表情をよく見ている。私が不機嫌な顔をすれば、たちまちイタズラがエスカレートして行くし、笑顔でいるとき程、息子も安定しているのだ。
人生には色々な出来事があるし、自分に合った人も居れば合わない人もいる。
けれど、それは当たり前の事で、どんな時でも自分がいい状態でいられる事を大切にした方が良い気がする最近。
不思議な事に、自分の身体の状態が悪い時に繋がったご縁は続かなかったりもする。
自分が良い状態で居れば、不思議と自分に合った人や物や事柄に出会い、そのご縁は続いて行くし、必要ない物は不思議と遠ざかって行く様になっている気がする。
昨日の母の患者さんとのある会話から、改めてそんな事を思った。
子育て中であったって、自分へのご褒美も必要。今の私の楽しみは、息子が寝た後に旦那さんに家にいてもらい、一人で行きつけのワインバーに行く事。そして最近覚えた一人カラオケ。
そして、そろそろ身体を動かす為にバレエのクラスを受けに行こう!!と、今日息子の一時保育を予約した。
人は人から沢山のヒントを頂く。昨日の母の患者さんとの会話で、彼女は私と話せて良かったと言ってくれたけれど、人と話をする事で自分の気持ちを再確認する事は多い。
逆に、私が自分自身の気持ちを再確認させて頂いた。
写真は、仰向けで凄い顔で寝ているネロを必死で起こす息子。
「ネロちゃん、怖い・・・・。ネロちゃん、起きて!!」と、ただ事ではない!と思い叩き起こした様子。
爆睡していたネロは何事かといった表情。
息子なりの優しさ。