先日行った佐野市でのセルフボディケアWS。

会場が変わった為に、佐野でもお茶の時間を設ける事が出来る様になった。

WSでは、5月よりその月の陰陽五行説や経絡などについても勉強するようにし、皆で和気あいあいと楽しい時間を過ごす。

一緒に身体をメンテナンスした後のお茶の時間はいつもとても楽しみな時間。

その時々で題材になる話の内容が変わる事がとても面白いけれど、先日の時間も面白い時間となった。

話題となったのは、病気になりやすい職業の話。

そして、佐野厄除大師の話からの色々な話。

佐野厄除大師はなかなか有名な場所である。

徳川家康の遺骸を久能山東照宮から日光東照宮へ移す際に、一度佐野厄除大師に寄ってから日光へ向ったという、由緒ある場所。

私も佐野に住んでいながら、初詣に行ったりはしたものの、しっかりとご祈祷をしてもらった事は今まで無かった。

佐野厄除大師は厄除という言葉がつく所でもあるので、中には厄を貰って来てしまう・・・という話も聞いた事もあるけれど、実際にお祓いをしてもらって、その迫力にとても感激し、そこで頂いたお札に書いてある事を読めば読む程、しっかりと決まり事を守って奉らないといけないな。と気が引き締まった。

お札を家のどこにどの方向を向けて置き、大きなお願い事をする時に準備するものや、願いが叶った時にどうお礼をするか・・などが書いてあったけれど、特に気をつけなければいけないのはお札を置く向きなのだそうな。

必ず東、もしくは南に向けて飾らなければいけない。この向きがとても重要だと書かれていた。

日本の古くからある祀り事というのは本当に興味深い。

そんな話から、私が数年前に登った身延山の話になった。

身延山はお坊さんが修行を行う山でもあり、徒歩でしか登れない山。

身延山の頂上からは真っ正面に富士山が見える。

お彼岸には、富士山の真ん中からご来光が見えるらしい。

一日かけて山を登り、一晩を山頂で過ごし、富士山からのご来光を拝み、下山する。

山頂で精進料理を食べた後、10人を超えるお坊さん達が一度にお経を読み上げ、一人一人の願いを読み上げてくれるのだけれど、中には声がガラガラにかれてしまっているお坊さんもいて、その迫力には圧巻だったのを覚えている。

その徒歩でしか登れない身延山は、中途半端な気持ちで登ったりすると必ず頂上まで登れなくなってしまうのだとか。

何度もその山に登った事のあるある方は、以前登る前に「こんな山、登れるに決まってるわ!」と馬鹿にして登山を始めた方が、ある地点から原因不明で足が全く動かなくなってしまって、結局自力では登れずに頂上までカゴの様なもので数人がかりで運んでもらわなければならなくなって、10万円くらい払わなければならなくなったことがあった!と話してくれた。

そんな話から、水子供養の話に。

なぜ水子供養の話になったかというと、霊山である身延山で、流産経験がある方がある地点から足が重くなってしまうという事があったから。

供養をする事って、とても大切ですね。という話に。

それは、佐野厄除大師で見つけたある言葉達から。

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この世に産まれる事が出来なかった子供さんを供養する事で、お寺さんに預け、出家されたと考えるのだと。

昔から一家の中からお坊さんが出る事は、七代にわたって栄えると言われているのだとか。

今、人の身体を見させて頂く事も仕事にさせて頂いているけれど、この仕事を通して悲しい思いをした方にも出会う事もある。

もしこの事を知っていたら、この事教えてあげたかったな。と思う。

人の命は永遠ではない。

その人生は長いものもあれば短いものもある。

けれど、一つの人の命として、残された人はしっかりその命を敬わなければならないような気がした。

WSの後、祖母に会いに行った。

細く、小さくなってしまったけれど、94年もの人生を生き抜いて来た事を誇りに思った。

目はまるで赤ちゃんの様になり、何か話したかと思うとお礼ばかり言っている。

様々な出来事を通して,様々な事を学ばせてもらっている。

自分の命を大切に、毎日出来る事を精一杯頑張ろう!!

 

 

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